天童よしみさん憧れたジュリー「いつか私もステージに」

天童よしみさん憧れたジュリー「いつか私もステージに」

「珍島物語」「道頓堀人情」で知られる天童よしみさんは、2019年まで紅白歌合戦に24回出場している人気歌手。紅白では美空ひばりの「川の流れのように」「愛燦燦」などを歌ったこともあり、昨年は「AI美空ひばり」の振り付けも担当して話題になった。そんな歌姫が影響を受けたのはザ・タイガースのジュリーだ。

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 子供の頃からのど自慢に出たり、オーディションを受けたりして小学校の5、6年までは演歌ばかり歌っていました。特に、畠山みどりさんの歌でしたね。それが、中学になってガラッと変わりました。昭和40年代前半は、グループサウンズが大ブーム。友達がそれぞれのグループの熱狂的な追っかけになった。私はジュリー一本でした。

 当時、映画「ザ・タイガース 世界はボクらを待っている」が封切られたのですが、友達12人と大阪・梅田の映画館に見に行きました。その中で歌われていたのが「銀河のロマンス」です。銀河にシルビーという名のお姫さまがいて地球でジュリーと巡り合い、ロマンスが芽生えるけど、月に帰っていかなければならないという、かぐや姫みたいな物語です。出だしは「銀河にうかべた 白い小舟」で、「シルビー・マイ・ラブ」のフレーズが繰り返されます。 天童よしみさん憧れたジュリー「いつか私もステージに」 とにかく人気だったザ・タイガース(C)共同通信社

映画を見て歯並びまで好きになった中学生時代

 大きなスクリーンに大好きなジュリーが映し出された時はハッと息をのみました。ジュリーの中性的な魅力、美しさといったら! 歯並びまで好きでした(笑い)。歌もアクションもすてきで、私もステージに立ってあんなふうに歌ってみたいと憧れたのを、昨日のことのように覚えています。

 お姫さま役は明星、平凡などで募集していて私も応募しました。見事にダメでしたけど(笑い)。

「銀河のロマンス」のジャケットはピンクの縁取りで、メンバーがラフなスタイルでソファに座っている写真でした。思い出しますね。当時、ジュリーはチェーンにペンダントのデカ版がついたものを首からかけていて、私もマネしてそれを身に着けて歩いていました。

 40年代はドラマ「寺内貫太郎一家」(1974年)が人気になりました。有名なのは樹木希林さん扮するおばあさんが壁に張ってあるポスターに向かって「ジュリー!」と叫ぶシーン。あの気持ちはよく分かりました。私もやってましたから。

 デビューは高校時代の70年。レコード会社の紹介でアニメ「いなかっぺ大将」の主題歌「大ちゃん数え唄/いなかっぺ大将」を発売した。72年には当時歌手としての登竜門だった「全日本歌謡選手権」を10週連続勝ち抜き、7代目グランドチャンピオンに輝いた。

 GSブームが終わり、ジュリーはソロでヒットを飛ばす一方で俳優としても活躍、75年にザ・ピーナッツの伊藤エミと結婚。天童さんは「ものすごくカッコよかった。スター同士が結婚して幸せになる。私たちに希望を与えてくれた一瞬でした」と語る。

■「珍島物語」は「モスラの歌」のサビと似ている

 85年にテイチク移籍第1弾で発売した「道頓堀人情」がヒット、96年には「珍島物語」がミリオンセラーを記録した。

「珍島物語」がヒットするまでは苦難の道でしたね。それまでとは異なるジャンルにチャレンジしたので、抵抗もありましたが、新しいファンができて応援してもらうことができました。

 会えなくなった家族が突然海が割れてつながり再会――「珍島物語」は旧約聖書の「モーゼの十戒」の「海割れ」をイメージしたものです。とてもスケールの大きな物語です。

 歌詞に「霊登サリの願いはひとつ」というフレーズがあります。霊登サリは海の道の神様のことで、祈りでもあるんですね。

 それが、ザ・ピーナッツが映画「モスラ」の中で歌った「モスラの歌」の「モスラヤ モスラ」というサビの部分とリンクして似ているんです。私の中ではGS時代までタイムスリップし、ジュリーならこうアクションをするだろうと、アイデアがどんどん湧いてきて、曲が出来上がった。

 ジュリーとは新人の頃テレビ局の廊下で初めて会いました。ドキドキして、恥ずかしくて、トイレに隠れましたね。「道頓堀人情」が出てしばらくして鶴瓶師匠の番組で共演したこともあります。休憩時間にテーブルにお菓子が置いてあって、「早く食べないと、なくなってしまうで」と関西弁のジュリーがクッキーを手渡してくれたけど、緊張して食べられなかった。もっとお話もしたかったのに。

 13年にはタイガースの復活コンサートに出掛けました。岸部(一徳)さん、森本(太郎)さんの楽屋にうかがったら「ジュリーに会いにきたんでしょ」って。挨拶に行ったら、ジュリーが「わざわざ、ごめんね」と声をかけてくれたのがうれしかったですね。

 今でもコラボをしたいと、夢のように思っています。