佐藤浩市主演「Fukushima 50」はなぜ賛否両論を呼ぶのか?

佐藤浩市主演「Fukushima 50」はなぜ賛否両論を呼ぶのか?

【大高宏雄の新「日本映画界」最前線】

 賛否両論が出るのは分かっていた。公開されたばかりの「Fukushima 50」だ。しかも、賛否の振り幅がやけに大きい。大ざっぱに、原発問題に深く迫れない浅い中身というのが低評価の理由だろうか。プロの書き手が、とくにシビアだ。それに対し、高い評価は描かれた人たちへの賛辞が目立つ。ネットのレビューを見ると、一般の人の賛同の声が多い。

 映画は、2011年の3月11日、東日本大震災により起こった福島第1原発の事故を描く。そのさなか、作業員たちはいかに原発の暴走を止めようとしたか。その際の作業員たちの描かれ方において、賛否が起きたのだと推測できる。

 筆者の意見を述べる。とにかく、見ている間中、恐ろしくて仕方なかったとはっきり言おう。それは被災された方々も含め、あのとき空間を同時に生きていた多くの人たちにとって、全く知らないことが描かれていたからに他ならない。あのとき、作業員たちは、自身の命と向き合っていたのである。

 当時の感覚でいえば、原発の状況に関しては、実体の定かではない報道と、全く科学的ではない希望的観測が入り交じっていたと思う。映画は、その無知ぶりをストレートについてきた。そこをまず、自身のこととして見るべきだろう。そこから、いろいろなことを考えてみる。そういう映画ではないのか。

 賛否両論はいい。どんどん、論議を進めるべきだ。ただその前に、東日本大震災から9年が経ち、新型コロナウイルスが拡大する真っただ中の今、本作が果たす意味には計り知れないものがあると言っておきたい。最前線で戦っている人たちのことを忘れてはならないのだ。本作が、次なる原発映画への橋渡しになることを願わずにはいられない。

(大高宏雄/映画ジャーナリスト)