人生の『スライディング・ドア』 【世界音楽放浪記vol.86】

引用元:Billboard JAPAN
人生の『スライディング・ドア』  【世界音楽放浪記vol.86】

20世紀末の出来事の話を、序文としたい。欧州に向かう機内の映画で、私は何度も同じシーンを観た。『スライディング・ドア』(ピーター・ハウイット監督、1998)だ。その頃はまだ、機内上映で、自在に巻き戻したり、先送りしたりすることが出来なかった。当時の映画の長さは、おおよそ、90分から120分ぐらい。『アルマゲドン』(マイケル・ベイ監督、1998)などが併映されているとコントロールが出来ないので、ロンドンの地下鉄のドアが閉まる、冒頭のシーンばかり観てしまった。

『スライディング・ドア』は、「ドアが閉まる前に地下鉄に乗れた人生」「ドアが閉まって地下鉄に乗れなかった人生」という、パラレルワールドを描いた映画だった。誰でも、そのような選択や、もし選ばなかったらどうなっていたのだろうと、自分の人生について考えることがあるのではないだろうか?

高校2年生の時だった。私は何か躊躇することがあったのだろう、駅前の横断歩道をすぐに渡らなかった。暴走車両とパトカーが数十センチ前を通り過ぎた。道の向かいから「あの車、お前を引っかけようとしてたんだぞ!」と、見知らぬおじさんが叫んだ。そのような『スライディング・ドア』に近い状況は、他にも幾つもあったと思う。

少し前の日、友人たちと会食をした。音楽プロデューサー、アーティスト、俳優、仕事仲間など心が許せる顔ぶれだった。映画が共通項だったので、「人生で巡り合った究極の映画」を3つずつ挙げた。自分で鑑賞代を支払わねばならない映画は、能動的に人生に寄り添うと私は思う。余談だが私には、いわゆる「ヲタク」の才覚はない。映画も大好きで年間に何十本も観るが、毎日のようにあらゆる映画を観ることはない。「ヲタク」の才覚があれば人生が変わっていたなと、何度も思ったことがある。

さておき私の人生を変えた3つの映画は、『メトロポリス』(フリッツ・ラング監督、1927)、『ニュー・シネマ・パラダイス』(ジュゼッペ・トルナトーレ監督、1988)、『ビフォア・ザ・レイン』(ミルチョ・マンチェフスキー監督、1994)だ。『メトロポリス』は、SF映画のパイオニア的存在。私が観たのはジョルジオ・モロダ―版(1984)だ。『アエリータ』(ヤーコフ・プロタザノフ監督、1924)という旧ソ連映画もSFとしては特記すべき存在だが、『スター・ウォーズ』の原型とも言われるこの作品は、落ちこぼれていた高校時代の私の心に希望をもたらした。『ニュー・シネマ・パラダイス』は、エンディングで涙が溢れ出した。『ビフォア・ザ・レイン』は、構造的にもシナリオ的にも時代感的にも、クリエイターとしての原点となる作品だ。

全員の挙げた作品は、それぞれに寄り添った映画だった。「いま」のみんなを見ながら、点が線を繋ぎ形になる、人生というものを感じた。私は、さらに訊いた。それぞれの『スライディング・ドア』は何だったか?と。誰もが、ターニングポイントを経て「いま」がある。 私は、こう答えた。「いろいろ失敗もあったが、自分ではその時なりに、最善を尽くした」と。ある友人は、「では戻れるとしたら、いくつに戻りたい?」と訊き直してきた。私は問いかけたのにも関わらず、過去に戻りたくないと答えた。理由は2つ。過去は変えることが出来ない。そして、もし「上手くいかなかったこと」を修正したら、「上手くいったこと」が上手くいかなくなると思えるからだ。人生は生放送、未来への一方通行だ。編集は出来ない。辛いとき苦しいときこそ、「いま」を楽しみたいと、私はいつも思ってきた。『スライディング・ドア』のどちら側にいたとしても、最善の選択をしたいと。Text:原田悦志

◎原田悦志:NHK放送総局ラジオセンター チーフ・ディレクター、明治大学講師、慶大アートセンター訪問研究員。2018年5月まで日本の音楽を世界に伝える『J-MELO』(NHKワールドJAPAN)のプロデューサーを務めるなど、多数の音楽番組の制作に携わるかたわら、国内外で行われているイベントやフェスを通じ、多種多様な音楽に触れる機会多数。現在は「イチ押し 歌のパラダイス」「ミュージック・バズ」「歌え!土曜日Love Hits」(NHKラジオ第一)などを担当。