ノルウェーの作家クナウスゴール ベストセラー「わが闘争」を語る 

引用元:産経新聞

 北欧のノルウェーで、国民の9人に1人が読んだという現代のベストセラー小説がある。カール・オーヴェ・クナウスゴールさん(51)が少年期からの歩みを紡いだ自伝的長編『わが闘争』(全6巻)だ。家族や友人らを実名で登場させる究極の“私小説”は関係者の反発も招く一方、作家を北欧文学を代表する存在へと押し上げた。

 1998年に発表したデビュー作でノルウェー文芸批評家賞を受賞。文名をさらに高めたのが2009年から11年にかけて発表した『わが闘争』だった。人口500万人超のノルウェーで60万部に到達した大ベストセラーは30を超える言語に翻訳された。1、2巻は邦訳版も刊行されている。

 「読者のことは全く考えない。意識しすぎると自分が誘導されてしまう。私は自由に書きたい」。16年の来日時に話を聞くと、自著がベストセラーになったことに少し戸惑っているようだった。

 第1巻にあたる『わが闘争 父の死』(岡本健志・安藤佳子訳、早川書房)では、自身が30歳のときに亡くなった父親との関係が主に描かれる。厳格な中学教師で、まるで権威の象徴だった父。青春期には作家を抑圧し続けた父親がやがてアルコール依存症となり、周囲にトラブルをまき散らす厄介者になる。そんな父を失ったときの、愛憎入り交じる複雑な心情が丁寧に描かれている。「私は『死んでほしい』と思うくらいに父親を怖がっていた。だが、実際に父が死ぬと涙が止まらなかった。その自分の反応にびっくりしたのです。それからはぼんやりとしか見えなかった世界の一つ一つが具体的な意味を持つようになった。父が酒に溺れたのはなぜか? それは自分にも起こるかもしれないのではないか?…というふうに」

 自らの恥部も赤裸々につづり周囲の人々を実名で登場させる。そんな創作手法は描かれた関係者の拒絶反応も招き、訴訟をちらつかせる親族も出たという。

 「日本のような私小説の風土がないノルウェーで事実をそのまま書く手法が新鮮に受け止められた面もあるかもしれない」。『わが闘争』の邦訳を手掛けた岡本健志さんはそう指摘した上で、「描かれている権威的な親との衝突や離婚をめぐる苦悩は個人的であると同時に誰にも共通する問題」と作品世界の普遍性にも着目する。

 近年はノーベル文学賞の下馬評に名前が挙がり、村上春樹さんにも贈られたハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞の今年の受賞者にも選ばれている。

 193センチの長身を折り曲げ、丁寧に言葉を選びながら話す。「小説の執筆は現実を理解するための手段。書くことで人生の根本が理解できるのです」(海老沢類)

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=現代の世界文学の魅力を伝えるシリーズ「文学五輪」は第1木曜日掲載です。