ミューズは究極の悪妻だった。奇才サルバドール・ダリ、素顔に近づくためのストーリー

引用元:ELLE ONLINE

溶けたような時計や宙に浮いたマリア像など夢のワンシーンを切り取ったような作品を残したシュールレアリスムの天才、サルバドール・ダリ。1904年に生まれ、ルネ・マグリットらと共に20世紀のアートシーンをリードしていた。一度見たら忘れられない強烈なイメージは、ダリより20歳年上だったピカソの心も捉えたという。12月15日からはポーラ美術館で『シュルレアリスムと絵画ーダリ 、エルンストと日本の「シュール」』が開催される。謎に満ちたダリの作品をより楽しむために、彼を読み解く上で欠かせない項目をピックアップしてみたい。(ここで取り上げた作品の一部は『シュルレアリスムと絵画』に展示されていません)


ミューズは究極の悪妻だった。奇才サルバドール・ダリ、素顔に近づくためのストーリー


(左から叔母、母、父、ダリ、叔母ティエタ、妹アナ、祖母)photo : Getty Images

生まれたときからトラウマまみれ

スペインのカタルーニャ地方のフィゲラスに生まれたサルバトール・ダリ。父は公証人で地元の名士だった。ダリが生まれる9ヶ月前に彼の兄サルバトールが亡くなっている。同じ名をつけられたダリは生涯自分は兄の身代わりだというコンプレックスとトラウマに囚われる。両親の部屋には死んだ兄の写真がずっと飾られていて、ダリは後年「自分が死人だと思い込むようになった」と語っている。


ミューズは究極の悪妻だった。奇才サルバドール・ダリ、素顔に近づくためのストーリー


(4、5歳頃のダリ)photo : Getty Images

息子のコンプレックスを知っていた母はダリを甘やかして育てたという。でもその母はダリが17歳のときにこの世を去ってしまう。あまりにもショックが大きく、妻で彼のミューズになるガラ に出会うまで、母の思い出を語ることもできなかったというダリ。ちなみに母の死後、母の妹(前ページの写真に写る叔母ティエタ)が父と結婚、ダリの義母になった。この再婚も父への反発と母への慕情をエスカレートさせる一因になったという説も。


ミューズは究極の悪妻だった。奇才サルバドール・ダリ、素顔に近づくためのストーリー


(左がダリ、右がブニュエル)photo : Getty Images

最初のミューズは男だった?

もともと絵がうまかったダリは18歳になると父の勧めでマドリードの聖フェルナンド王立美術アカデミーに入学する。でもすでに自分のスタイルを確立していたダリにとって、伝統重視の授業は魅力的ではなかった。でも学校に通うために引っ越した寮で人生を変える事件が! それはのちの映画監督ルイス・ブニュエルとの出会い。彼と意気投合して、映画『アンダルシアの犬』を共作し、これがきっかけで当時誕生間もないシュルレアリズムの一派に仲間として迎えられる。ブニュエルと出会わなかったら、彼のアーティスト人生は違ったものになっていたはず。