「太神楽は外国人にも受ける伝統芸能。未来は明るい」

「太神楽は外国人にも受ける伝統芸能。未来は明るい」

【太神楽 鏡味仙三郎 大いに語る】#9

 太神楽はもともと神事芸能だったのが、寄席ができてから、曲芸だけ高座で演じられるようになり、色物として定着した。

「寄席は落語や漫才など聴いて楽しむ芸が多いので、太神楽のような見て楽しむ芸が珍重されるわけです。ただ、色物は客に受ければいいというもんじゃなくて、後に出る落語家さんにいい雰囲気で渡してあげる。役目はこれに尽きると思います。野球で言えば、中継ぎ投手ですね」

 確かに、色物は短い時間でつなぐワンポイントリリーフもあれば、長い時間やらざるを得ないロングリリーフもある。

「時間が押していて、前座さんから『短めにやって下さい』と言われるのはしょっちゅう。そういう場合はたとえ5分で下りても客には10分やったように思わせなくちゃいけない。反対に、トリの前のヒザ代わりで、トリの落語家の楽屋入りが遅れてて、それまでつながなくてはいけないこともあります。そこでは、やむを得ず延ばしてることを客に悟らせない。小仙親方はトリが遅れた際、1時間やってたのを見てます。

 仙之助・仙三郎では、50分つないだのが最長記録。それだけやると、曲芸だけでは客も飽きてしまう。そこで茶番が役に立つんです」

 茶番は昔の三河万歳みたいなスタイルで演じる寸劇で、扇子一本あればできる太神楽師特有の芸だ。

「茶番ができれば長いつなぎも苦にならない。獅子舞と並んで太神楽の3本柱ですから」

 ホールで催される落語会でも、太神楽が使われることがある。

「亡くなった志ん朝師匠は、地方の独演会にもよく使ってくださいました。『落語ばかりだとお客さまが疲れてしまう。間に入ってもらうと、お客さまに対するサービスになる』とおっしゃってました。太神楽をそのように評価してくれたのはありがたかった」

 仙三郎は落語協会の理事も務めている。新しく入会する色物芸人にはこんなアドバイスを送るとか。

「自分たちさえ受ければいいと思わないで、番組全体の流れの中での役割と責任をきちんと考えてください、と伝えてます」

 色物芸人にはこの心掛けが大事なのだ。

「太神楽は外国人にも受ける伝統芸能です。未来は明るいと思いますね」

 見て楽しめる芸は万国共通だ。=おわり

(聞き手・吉川潮)

▽鏡味仙三郎(かがみ・せんざぶろう)1946年、岩手県盛岡市出身。55年に12代目家元・鏡味小仙に入門。前座名「盛之助」。57年、池袋演芸場で初舞台。73年に故・鏡味仙之助とコンビ結成。2002年、鏡味仙三郎社中を結成。趣味はゴルフとオートレース。近著に「太神楽 寄席とともに歩む日本の芸能の原点」(原書房)がある。