急逝した伝説のパリコレモデル・山口小夜子さん最後の写真公開「あの世とこの世のはざまのような美しさ」

引用元:スポーツ報知

 6日に放送されたTBS系「爆報!THE フライデー」(金曜・後7時)で、2007年8月に急逝した伝説の日本人パリコレモデル・山口小夜子さんについて特集。写真家の下村一喜氏は、生前最後と思われる写真を公開した。

 1971年にモデルデビュー。山本寛斎氏に見いだされ世界に進出。パリコレで活躍し、74年には米ニューズウィーク誌で「世界のトップモデル4人」として取り上げられたほどだった。

 しかし、当時は20代後半になるとトップモデルから“引退”となる時代で、その後の山口さんは舞台や人形劇の活動に移行し、ランウェイからは姿を消した。生涯独身で、亡くなる前の様子は謎につつまれていた。

 そんな山口さんから06年に写真の撮影を依頼されたという下村氏が「最後の写真」を撮影したエピソードを明かした。「山口さんからお電話をいただいて、『突然ごめんね。来週、撮影をお願いしたいんだけど』と言われた」という下村氏。雑誌か何かの撮影かと思ったが、山口さんが個人的に撮影してほしいという異例の依頼だった。

 当日現れた山口さんに衣装はどうするのかと尋ねると、着ている服のままでいいと答え「実はこれ私が作ったの」と黒いベルベットの洋服で撮影。10分という短時間で撮影は終了した。ランウェイから離れていても、山口さんのポージングが完璧だったからだという。

 その時の山口さんについて下村氏は「あの写真が最後になったということには驚かなかったです。常に死というか、あの世とこの世のはざまのような美しさなんです」と振り返った。真っ赤な月を背景にロングの黒髪の山口さん。目は特徴的な切れ長メイクでモデルの仕事から離れていたとは思えない美しさが際立つ写真だ。山口さんが急死したのはそれから10か月後、急性肺炎だった。

 スタジオには山口さんが憧れの存在だったというトップモデルの冨永愛(37)が登場。印象に残っている山口さんの言葉として「本当は空き缶だって、地下鉄だって着られる」を挙げ、“ウエアリスト”と言われた偉大な大先輩を取り上げたことについて「非常にうれしいです、テレビで小夜子さんを特集してくださることが。時代的にもインターネットとかないですし、亡くなってからも認知されていくのがうれしいです」と語った。

報知新聞社