ジャニーさんへの報恩…残留した中居正広と木村拓哉のベクトルは同じだった SMAPの5つの”破片”は再び集まるのか

引用元:中日スポーツ
ジャニーさんへの報恩…残留した中居正広と木村拓哉のベクトルは同じだった SMAPの5つの”破片”は再び集まるのか

 2016年にSMAPが解散。翌年に稲垣吾郎、草●剛、香取慎吾がジャニーズを離れたが、中居正広は残留という選択肢を選んだ。断腸の思いでSMAP解散を認めてくれた恩師のジャニー喜多川社長に砂をかけて出て行くことはできなかったからだろう。本紙の取材では、自身のレギュラー番組を支えてくれる制作会社のスタッフたちの行き場を失わせたくないという思いもあった。

 当初は5人全員で退所を決意していたが「木村拓哉が裏切ったことで計画が頓挫した」と報道されたが、中居はこの日「そういうのはなかった」と断言した上で「当時は最良の決断だったと思いました」と言葉に力を込めた。ジャニーさんへの報恩を誓った木村と中居は、形は違えど同じベクトルを向いていたということだ。

 中居はこの日、解散騒動のときに連日報道されるニュースを見て「やべぇグループだと思った」と述懐した。解散後、ファンとの接点がほとんどなくなったことから、一度に5万人以上のファンを動員したドーム公演を思い起こしながら「ハンパじゃなかった。あの子たち、どこ行きました?」と苦笑していた。

 会見前日も家電量販店で「SMAPの中居さんですか?」と声を掛けられたという。一度は空中分解したグループだが、きっと5人それぞれの心の中に、あの栄光は今でも輝き続けている。

 独立にあたり中居は、新しい地図との合流を選ばなかったが、今後3人と一緒に仕事をする可能性は極めて高いとみる。SMAP再結成への第一歩などと早まってはいけない。それでも空中分解したグループの破片を拾い集めるきっかけにはなるかもしれない。

 (注)●は弓ヘンに前の旧字体その下に刀

 ◆中居正広の歩み◆

1986年 ジャニーズ事務所に入所
  86年 後楽園球場でのジャニーズ野球大会が初仕事
  88年 SMAPのメンバーに
  89年 TBS系ドラマ「時間ですよ 平成元年」で俳優デビュー
  91年 SMAPのメンバーとして「Can Stop!!―LOVING―」でCDデビュー
  95年 テレビ朝日系「味いちもんめ」で連続ドラマ初主演。同局系「サンデージャングル」でスポーツキャスターを初担当
  97年 第48回NHK紅白歌合戦で白組司会に抜てきされる。その後通算6度司会を担当。
2000年 東京ドームで巨人の開幕戦で国歌斉唱
  07年 第58回紅白歌合戦では紅組司会を担当。NHKアナウンサー以外の男性による史上初・唯一の紅組司会および両組司会経験者に
  04年 TBSの五輪キャスターを務め、06年以降の五輪時も同局のキャスターを担当
  09年 第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でテレ朝の日本代表サポートキャプテンを担当
  13年、第3回WBCにおいて、日本野球機構により日本プロ野球史上初の公認サポーター「WBC侍ジャパン公認サポーター」に就任
  15年 のどの腫瘍手術を行う
  16年 SMAP解散。ソロタレントとなる
  20年 ジャニーズ事務所を退社し独立