『蝙蝠の安さん』再演へ幸四郎に企画持ちかけ… 秘話開封・歌舞伎とチャップリン

引用元:夕刊フジ

 【秘話開封 歌舞伎とチャップリン】

 チャップリンの『街の灯』の歌舞伎版のタイトル『蝙蝠の安さん』とは歌舞伎作品『与話情浮名横櫛』の「源氏店」の場で主人公の与三郎にゆすり・たかりを教える「蝙蝠安」のこと。台本を手がけた木村錦花は安は放浪紳士チャーリーに似ているとして、このキャラクターを主人公に据えた。

 チャップリンのキャラを「蝙蝠安」にしたのが面白い。例えば、明治19年の仮名垣魯文作の浄瑠璃『葉武列土倭錦絵』では、ハムレットに「葉叢丸」という名前をあてた。木村はチャップリンに漢字をあてず、蝙蝠安という歌舞伎でなじみのキャラを引用したのだ。単純な翻案を超え、文化のもっと深い層における受容だといえる。

 初演の配役は「蝙蝠の安さん」を十三代目守田勘弥が演じた。あえて二枚目役者の勘弥が浮浪者の「蝙蝠安」役をやったところに意外性があった。チャップリンのキャラの持つ「放浪者にして紳士」という二重性を演出していたのだろう。

 日本の伝統芸能にまで翻案されるチャップリンの普遍性を改めて思い知る。同時に当時の日本の情報の早さ、歌舞伎が本来持つフットワークの軽さには驚かされる。

 古い伝統を残しつつも外国の最新カルチャーを柔軟に自国文化に取り入れた当時の日本。『街の灯』が『蝙蝠の安さん』として歌舞伎化されていた事実は「情報化社会」や「国際化社会」と呼ばれる現代に暮らすわれわれに多くのことを教えてくれる。

 と、そんな内容の論文を英語で書いて2004年にアメリカの書物に掲載してもらった。すると思いがけないことに、それを読んだチャップリンの次女ジョゼフィンから「父は歌舞伎が大好きでした。再演が実現したらきっと喜ぶでしょう」と連絡をいただいた。

 『蝙蝠の安さん』が現代によみがえったらそれこそ夢だ。ある人に「その思いを松本幸四郎丈にお伝えしてはどうか」と勧められ、私は手紙を書いた。しばらくして面会した際、幸四郎丈は開口一番、「よくぞこの企画を持ってきてくれました」とおっしゃった。それから15年に及ぶ『蝙蝠の安さん』再演プロジェクトが始まった。

 ■大野裕之(おおの・ひろゆき) 脚本家、演出家。1974年、大阪府生まれ。京都大学在学中に劇団「とっても便利」を旗揚げ。日本チャップリン協会会長。脚本・プロデュースを担当した映画に『太秦ライムライト』(第18回ファンタジア国際映画祭最優秀作品賞)、『葬式の名人』。主著に『チャップリンとヒトラー メディアとイメージの世界大戦』(岩波書店)など。