これも運命か…喜劇王生誕130年の今年、国立劇場での上演が実現! 秘話開封・歌舞伎とチャップリン

引用元:夕刊フジ

 【秘話開封 歌舞伎とチャップリン】

 チャップリンの『街の灯』の歌舞伎版『蝙蝠の安さん』の再演企画のため、松本幸四郎丈(当時市川染五郎)に初めてお会いしたのは2003年のことだったか。以来、私が監修・出演したチャップリン特集番組にご出演していただいたり、幸四郎丈とチャップリンの孫チャーリー・シストヴァリスと私でイベントを開催したりと機会をうかがっていた。

 しかし歌舞伎作品として成立させるには時間がかかった。もちろん権利金の問題もある。15年の紆余曲折を経て、喜劇王生誕130年の今年12月、国立劇場での上演が実現するのはやはり運命か。

 先日、衣装での写真撮影に立ち会った。支度部屋から幸四郎丈はなかなか現れない。こしらえや顔について、慎重に厳密に考えぬいている様子が壁越しに伝わってきた。バスター・キートンは、チャップリンを「蝶々のコレクターのような正確さで厳密に映画を作る」と評した。幸四郎丈にチャップリンの完璧主義が乗り移っていたのだ。

 ついに衣装で現れると私たちは息をのんだ。モノクロの衣装に一輪の花の色彩はまさに冷たい現実に咲くチャップリンの愛の温もりだった。1931年の台本を手がけた木村錦花のいう浮浪者の蝙蝠安を、当代の二枚目俳優、幸四郎丈が白塗りで演じる。それが「放浪者」にして「紳士」であるチャップリンの多面性を表現していた。

 その写真を見た娘、ヴィクトリア・チャップリンの言葉がすべてを物語る。「なんという出会いなんでしょう!」。喜劇王とも親交が厚かった映画研究の大家デイヴィッド・ロビンソンは「これは完全にチャップリンであり、完全に歌舞伎だ」と感嘆した。

 実は先ほど初回の稽古を見て、興奮冷めやらぬまま原稿を書いている。幸四郎丈がセリフを言った瞬間、江戸両国にチャップリンがいた。音楽にも美術にもこれまでにない新しさがあり、爆笑の後、やはりラストでは目頭が熱くなった。

 初演から88年を経て、喜劇王が絶賛した七代目松本幸四郎と初世中村吉右衛門の曾孫である当代幸四郎丈が安さんを演じる。これを奇跡と呼ばずしてなんというのか。

 時代を超えて愛され続けるチャップリンと歌舞伎が再び出会う。今だからこそ必要な、ぬくもりのあるユーモアと人間の情を見せてくれるはずだ。=おわり

 ■大野裕之(おおの・ひろゆき) 脚本家、演出家。1974年、大阪府生まれ。京都大学在学中に劇団「とっても便利」を旗揚げ。日本チャップリン協会会長。脚本・プロデュースを担当した映画に『太秦ライムライト』(第18回ファンタジア国際映画祭最優秀作品賞)、『葬式の名人』。主著に『チャップリンとヒトラー メディアとイメージの世界大戦』(岩波書店)など。

 「蝙蝠の安さん」は東京・国立劇場で12月4~26日まで。