まったくの偶然だったアボリジナルアートとの出会い

引用元:ニッポン放送
まったくの偶然だったアボリジナルアートとの出会い

黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、アボリジナルアート・コーディネーターの内田真弓が出演。アボリジナルアートとの出会いについて語った。 まったくの偶然だったアボリジナルアートとの出会い ニッポン放送「あさナビ」 黒木)今週のゲストはアボリジナルアート・コーディネーターの内田真弓さんです。日本でのアボリジナルアート・コーディネーターは内田さんだけですよね?

内田)私は他の同じような活動をしている方とはまだお会いしたことがないので、数少ないなかの1人かも知れません。

黒木)アボリジナルアートに出会われたきっかけは、ひょんなことだとおっしゃっていました。雨宿りで入ったギャラリーで出会ったとのことですが。

内田)そうです。オーストラリアに渡ったのは1994年です。アボリジナルアートについてはもちろん、アボリジニの方々の歴史や文化も、『地球の歩き方』に載っているような情報だけしか知りませんでした。もともとはボランティアの日本語の先生として、オーストラリアに渡りました。そこは小さな村で、日本人は私だけで1年間、教鞭をとりました。とても残念なことなのですが、アボリジニの方々をあまりよく言う方はいませんでした。そんな環境のなかでオーストラリアに残りたいとは思ったのですが、ビザが切れてしまったので、日本へ帰る航空券を買いました。お餞別をくださった方たちのお土産を買うために、メルボルンという大きな街に行きました。そこで雨が降って、雨宿りをしたのがきっかけです。

黒木)そこで魅せられて、次の日も行かれた。そしてギャラリーの方に話しかけられ、いろいろ説明を受けたのですね。

内田)そうです。英語も下手でアボリジニついてもわからない、ずぶ濡れのバックパッカーが突然ギャラリーに入って来たので、目についたのでしょう。オーナーさんがオランダの方で、この方もアボリジナルアートをヨーロッパに啓発していました。そこで彼から「あなたは日本人だろう。日本でアボリジナルアートはどのように評価されているのだ?」と、26年前に尋ねられました。正直、さっぱりわかりません。日本では見たこともないということを話したら、「あなたは英語は下手だがよく話すな。ここで少しトレーニングをしてあげる。ビザも出してやるから、仕事をしてみないか?」と誘われました。帰りの航空券も持っていたので、私は3分ほど迷いましたが、受けました。結局、そのギャラリーには6年いました。

黒木)すごい決断ですね。

内田)決断というか、事件でしたね。

黒木)その間は、アボリジニの方々が点在していらっしゃる砂漠にも行かれたのですか?

内田)私のなかで、アボリジナルアートのストーリーをつくろうと思いました。ですので、難しい専門書もたくさん読んだのですが、英語で書かれていたのでまったくわかりませんでした。やはり現場に行かなければならない。その現場は2500キロメートルと、想像よりも遠くにありました。だから、どこに行けばよいのか…。そこからでした。まず、そこへ行くには許可証が必要だと言われました。許可証とは何なのだろうか、どうやったら私は入れてもらえるのか。当時、ファックスで20ヵ所に手書きの自己紹介を書き、許可を求めました。20ヵ所送ったうちの18ヵ所には無視されました。残りの1ヵ所からはダメだと言われ、もう1ヵ所から「本気で来たいのならば、これとこれを準備しなさい」と、具体的な招待状のようなものが来ました。そして、そこに向かいました。

黒木)その窓口は政府なのですか?

内田)そうです。観光地ではないので、どこの誰だかわからない部外者を、アボリジニの方々が受け入れるメリットはどこにもありません。ある方は居住区に入りたいので、証拠写真だけを撮って帰る方たちもたくさん増えています。彼らの生活なので。

黒木)その熱意はどこから来るのでしょうね。最初に出会って魅せられたというところから来るのでしょうか?

内田)砂漠にいて、いまも狩りで暮らしている人たちというのは何だろうと、半分は好奇心でした。面白い出来事がたくさんありました。

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