「相棒と親方の家で寝泊まりを…稽古は雨の日以外は外で」

「相棒と親方の家で寝泊まりを…稽古は雨の日以外は外で」

【太神楽 鏡味仙三郎 大いに語る】#3

 今年74歳になる仙三郎が芸歴65周年を迎えると言うと誰もが驚く。9歳からやっているのだ。1946年8月に岩手県盛岡市で生まれ、本名は大木盛夫。3歳の年に母親が亡くなったことで、祖父母が暮らす福島県会津若松に引き取られる。

「祖父は上野の桜木町にも家を持ってまして、6歳の年にそこへ引っ越しました。その家に間借りしてたのが、後の相棒になる仙之助こと山原澄の一家です。3つ年下の彼は6歳の6月6日から、同じ町内に住んでた太神楽師、鏡味小仙親方のところへ稽古に通い始めた。あたしは、太鼓の撥を両手に持って1回転させる澄君の稽古を見てたんです。うまくできないので、内心イライラしてたら、親方が『やってみるかい』と言うからやってみたらすぐにできた。9歳の方がのみ込みが早かったというだけなんですが」

「あくび指南」という落語に、あくびの稽古を見ていた方が上手にできて、「お連れさんの方がご器用だ」とほめられる場面があるが、まさにそのままである。

「それがきっかけで入門して65年になるんですから、不思議な縁ですよ。当時、太神楽師になるのはたいてい親か親類が芸人をしてる者ばかりでして、仙之助やあたしみたいに縁もゆかりもない者がなるのは異例でした。最初は通い弟子でしたが、そのうち2人で親方の家に寝泊まりするようになって内弟子修業です。稽古は雨の日以外は外でします。両手で撥を回して取る。交差させて取る。それができると3本に増やす。5本取れるようになるまで5年かかります」

 親方の指導は厳しかったのか。

「厳しくはなかったですね。うるさいことは言わないけど、見てないようで見られている怖さはありました。稽古をサボって仙之助と野球をしてたのを見つかって、『何やってんだ、バカヤロー』と、怒鳴られたのはこれ一度きりです」

 初高座は入門して1年半後の1957年2月。鏡味盛之助という芸名で、小仙と相棒の小金、3人で池袋演芸場に出演した。

「前座さんがお茶を入れてくれました。まだ小学生ですから、遠慮せずにいただいたんですが、その前座が2009年に亡くなった先代三遊亭円楽師匠でした」

 それからは親方にくっついて、いろいろな場所で芸を演じる日々が続く。(つづく)

(聞き手・吉川潮)