ジャイアント馬場さんはアソコも“ジャイアント”だった

ジャイアント馬場さんはアソコも“ジャイアント”だった

【ダンカンの笑撃回顧録】#28

 森繁久弥先生のサインボールを射止めたことにより、「野球選手でない有名人からサインボールをもらう!」という俺のマイブームは拍車がかかっていくのであった。

 あの映画「ギターを持った渡り鳥」や「昔の名前で出ています」「熱き心に」のヒット曲を歌ったマイトガイの小林旭さんや日本を代表するファッションデザイナーのひとり、コシノヒロコさん、さらに松岡修造さんの「エースを狙え!!」の一言入りお宝サインボールなどを次々と手中に収めていくのだった。

 そんな中でもひときわレアモノといえる逸品を俺は手にすることになるのだった。それはまだ日本テレビが汐留に移転する前、麹町にあった頃の1階Gスタジオ(まだ使われています)の横のトイレでの奇跡なのだ。

 番組名はまったく記憶していないが、その日、日本が誇るあの世界の巨人、2メートル9センチ、足のサイズ16文(昔の日本の寸法で1文が2・4センチということだから、2・4×16=38・4センチと、とにかくでけ~!!)のプロレスのジャイアント馬場さんとご一緒することになったのである。

 そして、神は俺にほほ笑んだのであった。廊下にいた俺の前を通り過ぎると馬場さんはゆっくりとトイレに入っていったのである。間髪入れることなく本能的にとでもいうように俺の足は動いていた。馬場さんを追いかけるようにトイレに向かう俺……。

 俺がトイレ内に着いたその時、馬場さんは今まさにオシッコを男性便器にほとばしらせ始めた様子であった。俺の心の中で神がほほ笑みから満面の笑みに確実に変わったのだ。俺は馬場さんのすぐ左側に立つと同じようにオシッコを始めたのだ。

 横目でチラリと馬場さんの様子をうかがう俺……しかし、過去に何千回と世界の強敵と死闘を繰り広げてきた百戦錬磨の巨人の表情はさすがで、俺のはるか右斜め上で静かにオシッコにすべての集中力をそそいでいたのだった。

 それを確認すると、俺は素早く右斜め上に向けていた視線をそのまま下に振り下ろしたのであった。そして、心の中で呟いたのであった……「ジャイアントはあそこもジャイアントだ」と……。

 おそらく世界広しといえどもG・馬場さんのあそこを確信犯でのぞき見したのは俺だけであろう。

 しかし、俺の世界で“ただひとり”はそれだけでは終わらず、トイレを出るタイミングで、G・馬場とサインボールをいただいた、だけにとどまらず「馬場さん、プロレスの前は巨人の投手でしたよね! 本名・馬場正平さん、新潟の三条実業から巨人に入団して背番号は59」「アッポ~、詳しいねェ」「ハイ、大のプロ野球マニアなんです。で、お願いがあるんですが、巨人の時のサインも同じボールに入れてもらいたいんですが……」「いいよ、アッポ~」。

 こーして世界に2つとないG・馬場と巨人の馬場投手のサインが同時に入ったサインボールをゲットするという、夢のような出来事をやり遂げたのであった。=つづく

(ダンカン/お笑いタレント・俳優・放送作家・脚本家)