ウィリアム・バロウズ 帰ってきた“アングラ文化”の帝王 はみだしバッドボーイズ

引用元:夕刊フジ

 【はみだしバッドボーイズ】

 1970年代初めに音楽ジャンルを示すようになった“ヘヴィメタル”。生みの親は誰か、ご存じか? それがウィリアム・バロウズだ。

 ハーバード大学で文学・人類学を、ウィーン大学で医学を専攻。南軍将軍、ロバート・リーの子孫で、父親は電算機の発明で財をなした人物。知性も家柄も申し分ないのにドロップアウト。バーテンや私立探偵、害虫駆除員をしながら、アンダーワールドの世界に接触して、自ら人体実験をしながら麻薬中毒者の実態を描いた『ジャンキー』で作家デビュー。ビート・ジェネレーションの旗手と注目されるも誤って妻を撃ち殺し、世界を放浪と波乱ずくめの人生を送ってきた男だ。

 「カットアップ手法やテープ・ループ、たくさん教えてもらったよ」とビートルズは名盤『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケットにガンジーやマリリン・モンローらと並んで彼を載せて敬意を表した。

 ビート文学、ドラッグ文化、ビートルズ、ヘヴィメタル、サイバーパンク…。50年代から80、90年代にいたるあらゆる文化シーンの背後で、影響力を持った男がロンドンからニューヨークに帰ってきたのは74年の春だ。

 マンハッタン下町のエレベーターもないビル4階のロフトに、ディラン&ザ・バンド・ツアーの取材から帰ってきた僕。目の前でドアを開けてくれたのは三つぞろいのスーツ姿のバロウズその人だった。

 「入りたまえ。これから大学の講義に行くんだが、お茶でも入れてしんぜよう」「帰ってきたんですね、ミスター・バロウズ! でもなぜ…」「フッフッフ、悪魔払いをするためだよ」。

 その後、映画「ドラッグストア・カウボーイ」から「裸のランチ」がバロウズ・ブームを起こしたのはご存じのとおり。

 かつて発禁、検閲騒ぎで参加を認めなかったペン・クラブのエスタブリッシュメントのお歴々から加盟を認められ、祝賀パーティーに招かれたが、「私は昔も今も、どんな権威もクソだと思っている」とスピーチ。

 カート・コバーンらほめそやす若者にも「ドラッグで簡単に精神のコントロールを失うような人間は、政府やビッグマシンにもたやすくコントロールされてしまう。目を見開いて、愛の心を失わずにいることが肝心だ」と示唆した。1997年、83歳で大往生した。(ロックランナー・室矢憲治)

 「イージー・ライダー」の公開50周年を記念して、デニス・ホッパーが監督・脚本・主演を務めたドキュメント映画「アメリカン・ドリーマー」が2月1日から、東京・渋谷のユーロスペースで「イージー・ライダー」とともに上映される。29日まで。問い合わせはユーロスペース(03・3461・0211)。