嵐が教えてくれた「最短ルート」じゃない生き方 櫻井さんが漏らした言葉 「国民的アイドル」までの日々

引用元:withnews
嵐が教えてくれた「最短ルート」じゃない生き方 櫻井さんが漏らした言葉 「国民的アイドル」までの日々

2019年の第70回紅白歌合戦、事前の音あわせで行われた囲み取材で嵐の5人は質問攻めにあっていた。その場にいた私は、「結成20周年の記念の年に、大トリを任されること」の感想を求められた櫻井翔さんのコメントにハッとした。「ちょうど10年前に初めて出させてもらって、今年大トリを任せてもらえるなんて夢みたいです」。嵐が紅白に初めて出場したのは10年前。つまり、デビューから10年目まで紅白に出場していなかったのだ。(田中遼平)

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ハワイのクルーズ船でデビュー

嵐のデビューは1999年。1992年生まれの私が「おかあさんといっしょ」で歌われた「だんご3兄弟」を熱唱していたころのことだ。同じ時、5人はハワイのクルーズ客船でデビュー記者会見を行うというド派手なスタートを切った。

嵐がデビューする少し前、「8時だJ」という番組に、後の嵐のメンバーたちが出演していた。その番組見ていた園児時代のおぼろげな記憶の中では、彼らは「大きいお兄ちゃんたち」だった。でも、大人になってデビュー会見の様子を改めて見た時、彼らのあどけなさすぎる姿に思わず笑ってしまった。

今でこそドラマに出れば主演をはり、バラエティーでは司会をこなす彼らだが、当時は16歳から18歳の少年。ハワイに連れてこられて、あれよあれよという間にカメラに囲まれたら、そりゃガチガチにもなるだろう。

記憶に残っているのはV6

そんな少年たちは、後の彼らの代表曲となる「A・RA・SHI」で、デビュー曲からいきなり100万枚近い売り上げをあげた。

その後に発売した「SUNRISE日本」「感謝カンゲキ雨嵐」の売り上げも好調な成績をおさめた。「金田一少年の事件簿」、「よい子の味方」、「Stand Up!!」などメンバーが主演のドラマも次々放送され、バラエティーでも彼らの冠番組が製作される。しかし、2000年代前半時点ではまだ嵐は国民的グループという扱いではなかったように思う。

実はデビューから2019年までの嵐のCD売り上げトップ30に、2005年より前の曲は「A・RA・SHI」以外ランクインしていない。特に2003年、2004年のCD売り上げは、嵐のその後の活躍を考えると「かんばしい」と言えるものではなかった。

このころV6がメインレギュラーを務めていた「学校へ行こう!」が一世風靡(ふうび)していた。私は同級生たちと一緒に尾崎豆の不遇に共感し、学校の休み時間にはではみんなでヨウ・チェケ・ラッチョに打ち興じて、間違えると鉛筆でデコピンされる小学生時代を送っていた。

一方の嵐は、少なくとも私たちの中では、V6に比べると、話題にのぼることが少なかった。