金田賢一、朗読を通じて父・金田正一さんの足跡を後世に伝える/芸能ショナイ業務話

金田賢一、朗読を通じて父・金田正一さんの足跡を後世に伝える/芸能ショナイ業務話

 会場にひだまりができたかのような、あたたかな美声が響き渡った。声の主は、俳優の金田賢一さん(58)。昨年10月8日に他界した通算400勝投手で、元ロッテ監督の金田正一さん(享年86)の長男だ。2日、神奈川県逗子市の結・YUIコミュニティホールで、2007年に結成したユニットコンビ「朗読三昧」の音楽家の丸尾めぐみさんと、朗読を披露した。

 演目は「海を渡ってきた盲導犬、ボドの物語」と「信濃に伝わるもののけ退治の伝説、霊犬早太郎」。さらに父である正一さんにまつわる朗読と思い出話も披露された。

 「亡くなった父にちなんだ作品を、披露していこうと思います。今から読むのは『この人ぐらい』という詩です。父が400勝したときに、詩人のサトウハチローさんが書いてくださいました。父が大切にしていたものです」。1月21日のお別れの会でも披露された詩は、急に張り詰めた空気の中、そして丁寧に読み上げられた。

 「この人ぐらい 自分を知っていた人はいない この人ぐらい 目的に向かって邁進した人はいない つらぬくこころ この人はそのかたまりだった つらぬき通す努力 この人の毎日はその積み重ねだった この人の名は 金田正一 金田正一」-。

 詩にはまだ続きがあり、途中、涙をぬぐうファンもいた。続いて丸尾さんが手がけた、背番号にちなんだ「34」というピアノ曲も演奏された。重厚感があり、つむいだ歴史と偉業をたたえるような旋律。マウンドを、ベンチを守る絶対的存在感を思わせる楽曲だった。詩を、そして曲を聞きながら、鼻の奥がツンとなるような寂しさに襲われた。

 世はプロ野球のキャンプがスタートし、球春到来の時を迎えている。「監督」と呼ばせていただいていた金田さんと出会ったのも、1992年のこの季節だった。私が番記者をつとめていた日本ハムの沖縄・名護キャンプだったことを思い出す。

 すでにユニホームを卒業され、評論家としてのキャンプ地訪問だった金田さん。とにかくこの世界で多くを吸収したいと思い、名刺をもってあいさつに行くと「元気がよくて、いいなぁ。よし、気に入った!!」と何かと目をかけてくださった。

 お会いするたびに「元気にやってるか? ちゃんとメシ食ってるか?」と、愛情を込めて?頭をワシャワシャとなで回してくださった。当時、髪が長かった私は“洗礼”を受けるたび、頭が極度の鳥の巣状態に。その後は毎度の洗礼を想定し、少しでも“ダメージ”が少なく済むよう思いきってショートカットにし、はや28年。まだ、あの豪快な笑いが耳に、心に、残っている。

 終演後、賢一さんにその話を打ち明けると「それはそれは…。うちのおやじが、すみませんでした。父は、元気な人が本当に好きだったからね。当時の記者の方々に、自分も子供のころ、よく遊んでいただきましたよ」と、すらすらとたくさんの記者名を列挙し、思い切り笑ってくださった。

 1時間45分、休憩なしでよどみなく進行。ときに朗読を歌にのせるパートもあり、音読のみならず、歌唱力もくぎ付けになるほど、すばらしかった。「体力は父譲りだと思います。歌は、宝塚出身の母譲りですかね」。音楽とのセッションで、朗読とシンクロする独特な世界観が、本当に心地よかった。

 「自分にとっての朗読とは、おやじのことも含め、昭和の時代に生まれたものとして、後世に伝えていく。それが表現者としての、俳優としての使命だと思っています」

 次回は3月3日、南青山のZIMAGINEにて。同9日には、大阪市のニューオーサカホテル心斎橋にて、1965年発行の父の著書「やったるで」を朗読する。

 「父は芝居は2度ほど見にきてくれましたが、朗読はタイミングがあいませんでした。一度、聞いてほしかったなと思います」と賢一さん。その熱い思いは黄泉(よみ)の父に、きっと届いている。(山下千穂)