率直な物言いの梓みちよさん “その後”のイメージを作った「二人でお酒を」

率直な物言いの梓みちよさん “その後”のイメージを作った「二人でお酒を」

 ◇梓みちよさん急死

 【小西良太郎氏 梓みちよさんを悼む】レコード大賞というものも、歌手にとっては功罪二色になる。梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」は、流行歌の将来を見据えれば出色の作品だったが、歌手にとっては重荷になった。コンサートはともかく、キャバレーやクラブの仕事にはなじまない。そのうえ、梓みちよという歌手のイメージまでしばってしまった。ヒット曲の後が続かないのだ。

 転機を作ったのは喜多條忠作詞の「メランコリー」と山上路夫作詞の「二人でお酒を」だった。喜多條は当時、かぐや姫の「神田川」などをヒットさせたフォーク系の物書き。それが六本木と赤坂にはさまれた乃木坂に眼をつけた。当時は雑木林が目立つ町だったが、一軒、作曲家猪俣公章の実兄が経営するサパークラブがあって、彼らはよくそこへ通った。

 ♪それでも乃木坂あたりでは、私はいい女なんだってね…

 このフレーズと、「二人でお酒を」の、床にすわって杯かたむける女性が、梓の“その後”のイメージを作った。自立して気ままな、都会のシャレた女性像だ。

 もともと乃木坂の店には、作曲家の森田公一らと、ちょくちょく現れていたのが梓。以後長く、こじゃれた店のなじみの客然とした風情で、僕も何度か麻布あたりで楽しい食事をともにしたが、率直な物言いが気っぷの良さを示していた。ここ2、3年は、その姿を見かけなくなっていた。いい時代のいい女にも、それなりの年月がしのび寄っていたことが、無残で淋しい。

 (スポニチOB、音楽評論家)