テクノロジーの先に音楽を見つけたマデオン。「パソコンさえあれば世界中で鳴り響くような曲作りができる」

テクノロジーの先に音楽を見つけたマデオン。「パソコンさえあれば世界中で鳴り響くような曲作りができる」

子どもには、タブレットよりコンピューターを与えるべきかも?

現在25歳の音楽プロデューサー、Madeon(マデオン)が世に知られることになった大きなきっかけは、2011年、弱冠17歳にして音楽機材Launchpadを駆使し39曲のポップソングをマッシュアップした「Pop Culture」を発表したこと。Launchpadをパフォーマンスすることで、誰もが知る楽曲が新しい命を吹き込まれる様子は、まさにテクノロジーと音楽の出会いといった光景でした。

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レディー・ガガやコールドプレイらの楽曲制作/プロデュースに携わる一方、自らもデビュー作で全米ダンス・エレクトロニック・チャート1位を獲得するなどの大成功を収めています。

今回、4年ぶりとなるセカンドアルバム『グッド・フェイス』をリリースし、1月に来日公演を行ったマデオンに、テクノロジーとの出会いや創作論を聞いてきました。

パソコンと出会って、世界の見え方が変わった
──エレクトロニックミュージックはテクノロジーと深い関係がある音楽ですが、あなたが最初に興奮したテクノロジーとの出会いは?

マデオン
:最初はパソコンだね。子どもの頃に両親から「これで遊んでいいよ」とパソコンを渡されたんだ。一緒に渡されたソフトがゲームではなくてクリエイティブツールだったから、自然と“消費”ではなくプログラミングやグラフィックデザインなどクリエイティブなことに使うようになったよ。

──ご両親がクリエイターだった?

マデオン
:いや、両親はクリエイターではなかったけど、テクノロジーが好きだったから、魅力的な新製品が出るとそれに飛びつくような家庭だったんだ。彼らが選んだソフトがたまたまクリエイティブなものだっただけで、もしゲームを渡されていたら全然違うところに興味が行っていたかもしれないね。

──パソコンのどこに惹かれましたか?

マデオン
:僕の心に響いたのはプリンターだったんだ。パソコンの画面で作ったものを出力することで、実際に手に取ることができ、飾ったり、保存したりできる。そのこと自体にとても感動したんだ。そうしたプロセスを通して「この世界にあるものは、誰かが頭や手を働かせて作ったものなんだ」という認識を得ることができた。僕がパッケージデザインを含め、CDというフィジカルなメディアに固執するのも、その記憶からの影響が強いと思う。

──音楽を作ろうと思ったときも、楽器ではなく自然とコンピューターに手が伸びたのでしょうか?

マデオン
:うん。ダフト・パンクの影響が強かったからね。そもそも僕がダフト・パンクに惹かれたのは、“理解できなかったから”なんだ。ギターやピアノを演奏している様子を見れば、その音楽がどうやって構成されているのか分かると思うけど、ダフト・パンクの場合は何が行われているのか全くわからない。セカンドアルバム『ディスカバリー』に関しては、MVが松本零士さんのアニメだしね(笑)。

そういう「どうやってこの音を出しているんだろう?」っていう、“ミステリーを解読したい”という気持ちが、僕を音楽に向かわせたんだ。だからまずはパソコンを使って自分の声を録って、あるソフトで加工してみた。でも全然ダフトパンクっぽくならなかった。そこで今度はソフトシンセを導入してみたら、少し近づくことができた。当時はまだ12~13歳くらいだったし、そういうテクニカルな探究心から音楽を始めていたから「音楽で自分を表現しよう」なんてことは考えていなかったね。

テクノロジーの向こう側に見つけた、音楽という表現
──そんなあなたがマデオンとしてのスタイルを見つけた瞬間は?

マデオン
:16歳くらいから好きな音楽が広がっていって、ダフト・パンクはもちろん、ダンス、エレクトロ、そしてビートルズもすごく好きになった。そういういろんな影響が頭の中でぶつかり合うなかで、それをひとつの音源として表現できるということを発見したんだ。すごくテクニカルで複雑なエレクトロニックサウンドをベースとしながら、そこにビートルズのようなポップさを入れたいと思って、それで実際に作ったのが「Shuriken」という曲なんだよ。

この曲で自己流のスタイルが見つかって、そこから糸を紡いで今に至っているような感じだね。当初はテクニカルな興味がすべてだったけど、今では音楽は“自分の感情とコミュニケートできるツール”だと思っているよ。

──日進月歩で変わるテクノロジーを取り入れながらも、ビートルズのようなポップソングライティングを取り入れるというのが、あなたのベースアイデア?

マデオン
:うん、そうだね。10年前なら作られなかったようなサウンドを、10年前なかったような技術で音作りする。それが自分のスタイルだと思う。僕がポップミュージックやエレクトロニックミュージックに関して好きなのは、その時代の良さを謳歌しているところなんだ。最先端の技術をどんどん取り込もうという姿勢がすごくスリリングで、まるで探検隊になったような気持ちを味わえるよ。

──マデオンを一躍有名にした「Pop Culture」の影響で、多くのミュージシャンがLaunchpadに興味を持ちました。あの機材を選んだ理由は?

マデオン
:エレクトロニックミュージックのパフォーマンスって、基本的には何をしているのか分からないものが多いけど、僕はより身近に感じられるようにしたかったから「オーディエンスにわかりやすいガジェット」を探していたんだ。そこで見つけたのがLaunchpadだった。すでに発売されてしばらく経っていたけど、当時はあまり人気がなかったんだよね。でも僕はLaunchpadのデザインを美しいと思っていたし、指の動きとサウンドの関係性がわかりやすいし、映像的にも美しい被写体だと感じていた。だから購入してその日のうちの「Pop Culture」を作った。

でも、それと同時に「これ以上、これで表現したいものは無いかな」とも思った。今もライブでは使用しているけど、特別それ以降はビデオを作ったりしていないようにね。僕が使ったことで、少なくない人たちがLaunchadに興味を持って使うようになったのは間違いないと思うけど、僕は最初のドアを少し開けただけって感じかな。

──マデオンを構成するうえで、重要な音楽的テクノロジーはありますか?

マデオン
:具体的なテクノロジーというわけではないけど、最初にインスピレーションを受けたのは「ハウスミュージック」というジャンル名それ自体だった。初めて聞いたとき「なぜハウスという呼び方なんだろう?」と思ったんだけど、調べたら「スタジオではなく家で作ることができる音楽だから」ということだった。そのときすごく自分がエンパワーメントされるのを感じたよ。(注:ハウスの語源には諸説あり。一般的にはハウスの伝説的DJフランキー・ナックルズがプレイしていたシカゴのクラブ「ウェアハウス」が由来というのが有力だと言われています)

僕は当時12歳だったけど「パソコンさえあれば世界中で鳴り響くような曲作りができる」ということがわかったし、「やっていい」という許可を得られたような気がしたんだ。

インターネットは誰もが感謝すべきテクノロジーだと思う
──この20年ほどで最も大きなテクノロジーはインターネットとスマートフォンだと思います。インターネットはあなたにも影響を与えていますか?

マデオン
:間違いなく、自分の人生のなかで一番重要なテクノロジーだと思う。その前提として「コンピューターを使ったクリエイション」があるのは間違いないけど、インターネットのおかげでそれをシェアできるし、他の人から学ぶことで高い水準に持っていくことができる。僕はインターネットがあったおかげで、実家にいながら多くのことを学べた。年齢や住む場所に関係なく、知識を得ることができるのはすごいことだよ。

それにインターネットを通じた出会いもあった。メッセージボードを通じて、自分と同じようにミュージシャンを目指している才能あるクリエイターたちと知り合えて、そのなかには親友のポーター・ロビンソンもいる。当時はまだふたりとも10代だったけど、「こんなテクニックがあるんだよ」とお互いを高め合っていたんだ。

そんな感じで、技術を学び、オーディエンスを獲得することができたのは全部インターネットのおかげだよ。だから僕はインターネットについて“みんなが称賛すべきもの”だと思う。ネットがあらゆる“敷居”を取っ払ってくれたんだから。

──その一方でポーター・ロビンソンとの共同プロジェクト「Shelter」では、ネット上のコミュニケーションではなく、同じ空間に集まって作業したと聞きました。

マデオン
:うん。僕はフランスにいて、ポーターはアメリカにいたから、ネットがなければ出会う術がなかったふたりなんだ。だからずっとオンラインでつながっていたけど、ずっと「実際に会って作業したいね」という話もしていたんだよ。

──“同じ場所にいることで生まれる力”のようなものはありましたか?

マデオン
:「Shelter」ではオンラインでもオフラインでも共同作業したんだけど、両方を経験することで得られたものは多かったね。オンラインでの共同作業の方が時間を有効に使えたけど、一緒に同じ場所で作業する方が曲作りにマジックが起きた。実際にそこに行くことによって、普段は見ない風景や、嗅ぐことのない匂いを得られる。それが自分のなかの原始的なものに触れて、新しいアイデアが生まれてくるのを感じたんだ。ネットで検索すればいくらでも東京の写真は見られるけど、実際に来るのは大違いであるようにね。この経験は、その後の僕に影響を与えているよ。

──具体的には?

マデオン
:自分の場合、自分がどこにいるか、誰といるかが作品に大きな影響を与えると分かったから、世界中を旅して回る生活を続けたんだ。

──フランスからLAに移住したそうですが、それは今回リリースした『グッド・フェイス』を作るため?

マデオン
:今回はこれまでと違う作品にしたかったから、戦略的に環境を変えようと思いながら作ったんだ。当時22歳だったし「そろそろ親元を離れてもいいんじゃないか」と思って世界を見て回った。だから『グッド・フェイス』は4箇所で作ったアルバムなんだ。これまでの作品を作ってきたフランスの実家、そしてノルウェー、NY、LA。それぞれの都市や環境から影響を受けたよ。そのなかから、最終的にLAに移住することにしたんだ。特に今作は陽射しを感じられる作品になったと感じるけど、そこには常夏の街であるLAからの大きな影響があると思うよ。

──最後に音楽シーンについて質問です。数年前のEDMブーム以降「ポストEDMはどんな音楽になる?」と言われ続け、結果として答えが出ていないまま現在に至っていますが、あなたはそうした「EDM以降」にコミットしようと思いますか?

マデオン
:いや、僕はもともとEDMという定義があまり好きじゃなかったからね。それに、そもそも今はもう“ジャンルが破壊された後の時代”で、この状況こそが「ポストEDM」だと思う。

──なるほど。

マデオン
:今のエレクトロニックミュージックのクリエイターの多くは、ダンスミュージックであることには拘っていなくて、感情を揺さぶるような音楽をエレクトロニックなアプローチで作ろうとしているように感じるよ。だから結果として従来のジャンルを広げるようなアーティストがどんどん出てきている。僕はそういう聴いたことのない音楽が出てくることにワクワクしているよ。

──それは、ロックンロールバンドからスタートしたビートルズが、やがてジャンルの枠を超えた新しいポップスを作るようになった流れにも通じる?

マデオン
:まさにそうだね。「これをやらなきゃいけない」みたいな拘束や制限は、もう今のアーティストにはない。みんなそれぞれ自分の道を切り開いているだけなんだ。

Madeon

『Good Faith』

国内盤リリース中、デジタル配信中 照沼健太