美輪明宏「脳梗塞から復帰。今の私は、なりゆきにまかせて」

引用元:婦人公論.jp
美輪明宏「脳梗塞から復帰。今の私は、なりゆきにまかせて」

昨秋、初期の脳梗塞で入院するも、2ヵ月ほどで仕事に復帰した美輪明宏さん。早く健康体を取り戻すため、マイナスの感情は持たず、毎日リハビリにも励んでいます(構成=平林理恵 撮影=御堂義乘)

【写真】「ステージに戻りたい」という思いは強いけれど

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◆諦めずにいれば体は応えてくれる

あの日、仕事を終えて自宅へ帰ってきて、玄関先で人と立ち話をしているとき、言葉が少しもつれるのを感じました。なんだかおかしい、いつものようにしゃべれない。

それですぐに病院へ行きまして、MRIっていうんですか、あのガアアアとうるさいの、あれに入りました。ずいぶん昔に入ったことがあって、キーンという音、ドーンという音……いろいろな騒々しい音がかわりばんこに鳴るものだから、もう二度とごめんだと思っていましたが、仕方ありません。

我慢して我慢して、ようやく撮れた画像を見ると、脳の細い血管に小さな玉のようなものが写っていました。「これがいたずらをしていますが、ごく初期の脳梗塞です」と病院の先生から説明を受け、4日ばかり入院することになりました。

はじめの頃は、やはり言葉が出にくかったですね。でも、不安な気持ちに圧し潰されたら、そこでおしまい。人間はすべて「気」で動いていて、気が脳も動かすわけですから。気をマイナスに持っていったら、自滅してしまいます。

かといって「大丈夫、大丈夫」とやせ我慢しても仕方ない。こういうときに大切なのは冷静さです。まず首を立てなくてはいけません。つむじのてっぺんを、天井から吊り上げたみたいにまっすぐに保つ。そうすると、腰も背筋もまあるくなった肩甲骨も、まっすぐに伸びます。そして口呼吸をやめて、水をたっぷり飲む。そのおかげなのか、今では言葉のもつれはずいぶんなくなりました。私は、「気」以外には説明のつかないような不思議な経験をしています。以前、『毛皮のマリー』という舞台の最中に、右手首を粉砕骨折してしまったのです。みるみるうちに指が茶瓶みたいに腫れ上がって、腕の付け根まで紫になって。

腫れた右腕を衣装の袖で隠しながらお芝居を続け、終演後すぐに病院へ行きました。レントゲンを見たら、もう骨が粉々。砕けた骨の一部がつき刺さっているところもありました。

ここで、「もう治らないのでは?」と思ってはいけないのです。私は「絶対治る、絶対治る」と毎日腕を撫で、「ちゃんと動かないとダメでしょ」と言い聞かせ続けました。そうしたら、4ヵ月後には骨がちゃんと生えてきたんですよ(笑)。今では、この通り。完全に元に戻りました。マイナスの感情を捨て、諦めずにいれば、体は応えてくれるものですね。

振り返れば、私はこれまでにいくつもの病を乗り越えています。10歳のとき、長崎で被爆しましたから原爆症に苦しみましたし、中学3年のときには肺結核も患いました。当時の日本では、死に至る病ですが、私はアメリカから入ってきた薬のおかげで、3、4ヵ月で完治することができました。

20年ほど前までは、びまん性汎細気管支炎という難治性の呼吸器疾患を抱えていました。かつては致死率の大変高い病気で、慢性的な咳や痰、呼吸困難を生じるため、コンサートや芝居を続けるのは苦しくて苦しくて。ところがある雑誌の対談企画で、この病気を発見した研究グループの先生と知り合うことができたのです。こちらも4ヵ月で完治、命が助かりました。

ひどい病に罹っても、こうしてちゃんと84年間生き抜いてきました。私の経験を精神科の先生にお話ししたら「これからはユングの本じゃなくて、美輪さんの本を参考にする」とおっしゃっていました。(笑)

◆「これからはアナログとデジタルの勝負」と言い続けて

入院中は、病院の先生をはじめ多くの方々に助けていただきました。医学の進歩にも救っていただいたと思います。でもあのMRIの音、あれはなんとかならないのか。こういう機械をつくることに手腕を発揮する方たちは、情緒性が少し欠けていますね。人間があの機械の中にどのような思いで入っているのか、まるで計算されていない。ただフィルムに影が写ればいい、というものではないでしょう。

病院の中も、あまりに無機質なつくりですね。絵1枚でもいいから、何か美しいものが飾ってあったらずいぶん違うのに、と思いました。加えて、日がな一日室内に響いている、ブーンという空調の音。耳が敏感にできている私には、とても苦痛でした。

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