髭男爵・山田ルイ53世さん 髭生やそうとコンビニバイト辞めたらヘルニアに

髭男爵・山田ルイ53世さん 髭生やそうとコンビニバイト辞めたらヘルニアに

【役者・芸人「貧乏物語」】

 山田ルイ53世さん(髭男爵・44歳)

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「ルネッサーンス!」のフレーズでブレークしたお笑いコンビ・髭男爵の山田ルイ53世さん。著書「一発屋芸人列伝」「一発屋芸人の不本意な日常」が話題だが、売れるようになるまで、約10年住み続けたボロアパートでの苦労と、大家さんとの思い出を語ってもらうと……。

 一番貧乏だったのは20歳そこそこで、着の身着のまま上京したばかりの頃です。不動産屋さんに「家賃、1万円以下でないですか」とムチャなお願いをして、最初に住んだのが、1万5000円の部屋。

「芸人になるのだからバイトばっかりしてたら本末転倒や」という信念のもと、というか、バイトしたくなかっただけですが、とにかく貧乏でした。

 結局、同じ不動産屋さんにもっと安い部屋を頼み、見つけてもらったのが豊島区の8000円のボロアパート。

 1階を大家のおばあさんが使い、2階の何部屋かが賃貸なんですけど、僕の部屋は亡くなられた旦那さんが趣味の釣り道具をしまっていたという3畳一間。もちろん、風呂もトイレもない、単なる箱みたいな空間。表通りをトラックが通ったらガタガタ揺れるし。

 押し入れが通常と違い、下半分しかなく、上半分はただの壁。多分、隣の部屋は上半分しかないんでしょうね。テトリスっぽいつくりのアパートです。そこにドラえもんみたいに布団敷いて寝てたんですけど、ちょうど真下が大家さんが仏壇を置いてある部屋で。

 朝になると下からのチーン! で目が覚める。その後、読経が聞こえてきて(笑い)。

 その安い家賃も滞ったりしてご迷惑をおかけしました。30歳くらいでメシが食えるようになるまで10年近く住みました。売れてお金が入るようになって、最初にお金をドカーンと渡した相手は大家さんでしたね。もちろん、いくらか上乗せして(笑い)。

■共同炊事場の流しに体をねじこんで洗った

 庭に柿の木があったんですが、秋に実がなっても大家さんはお年だから、もげないわけですよ。僕がもいであげてバイト代に何個かもらったり。ゴミを代わりに出してあげる時に、中がちょっと透けて見えまして。食べ切れなかったらしいおまんじゅうがゴロゴロ入っていて。詳細は省きますが、数分後、お腹がいっぱいになっていました。いやもう本当にお金がなかった。

 大家さんには恵まれました。僕的には東京のお母さん。世話になったなと、今でも感謝しています。節約でいえば、お金がなくて、銭湯も週に1回くらいしか行けないので、共同の炊事場の流しにムリヤリ体をねじこんで洗ったりしてました。

 食べ物はコンビニでバイトしていた時期、今はダメなんでしょうけど、売れ残ったお弁当をオーナーがバイト連中にくれるんですよ。あれは助かりました。

 でも、そのうち頼みの綱のコンビニバイトができなくなって。というのも、髭男爵というコンビ名通りの見た目にしようとなった時、相方(ひぐち君)と「どっちが髭生やす?」って話になって。彼が「髭、生えない」と言いだした。もちろん嘘ですけど。

 相方もコンビニでバイトしていて、当時の基準だと「金髪・ピアス・髭」は絶対に雇ってもらえなかったんです。

 髭、生やしたらコンビニ辞めなあかん。それがイヤで「生えない」と言ったんです(笑い)。

 で、僕が生やすことになり、コンビニバイトを辞めなきゃいけなくなり、仕方なく日雇いの荷揚げの仕事を始めたら、過酷な力仕事が原因で椎間板ヘルニアになり……今も治らず、背中が痛いんです。

 最近、書き物の仕事を頂けるようになったんですが、長い時間は机の前に座っていられない。これに関しては、相方に慰謝料を請求したい。

「バイト辞めたくないから『髭、生えない』って言った君のしょうもない嘘のせいで、こんな被害を被ってるんやで」と。シャレですけどね。ハハハ。

 (聞き手=松野大介)

▽本名=山田順三 1975年4月、兵庫県出身。山田ルイ53世とひぐち君(樋口真一郎)の2人でお笑いコンビ・髭男爵を結成。ワイングラス片手のネタでブレーク。著書に「一発屋芸人列伝」(新潮社)、「一発屋芸人の不本意な日常」(朝日新聞出版)。