人生に2度死んだ男<2>35歳で急性膵炎に…なぜ助かったか【ダンカンの笑撃回顧録】

人生に2度死んだ男<2>35歳で急性膵炎に…なぜ助かったか【ダンカンの笑撃回顧録】

【ダンカンの笑撃回顧録】#25

 35歳の時に突然、急性膵炎(すいえん)で医大に運ばれた俺であった。

 とにかく壮絶な激激激痛がみぞおちに襲いかかってくるのだった。決して大げさではなく「頼むから殺してくださ~い!!」とだれもが思うくらいの痛みが三日三晩続いたのである。

 どのくらいの痛みかというと、痛みを文字で表現するよりわかりやすいと思うので、その時の医師の方々との会話をお伝えしよう。

「ウググ~、アアア……打ってください、痛み止めモルヒネを!」。モルヒネを打つと少しは痛みが和らぐのでした。それに対し、若い医師が「ごめんなさい、モルヒネはある程度時間をおかないと使えないんです」「ウウウ……もう死んでも狂ってもいいですからハアハア……モルヒネを……」「いや、決まりなので……」。するとそこに年配の医師が「打ってあげなさい……おそらく(命が助かることはないということだとわかった)だろうから、少しでも痛みを和らげてあげてください」。言っとくけど、この年配の医師を決して責めないでくださいね! そのくらいの痛みだったのですから。なにしろモルヒネを打ってもらい、意識をなくし(眠った)、「あ~、スッキリ眠った……アアア痛てー!」と目覚めたら、その間、時計の針は10分しか進んでいなくて、再び「先生、モルヒネを頼みます、ウウウ~!!」というまさに修羅場だったのです。

 実際、その時の俺の膵臓の数値は正常な人の10倍は優に超え、その値でなぜ命が助かったのか? 考えられるのは35歳という若さ(膵炎は50代以降に出るらしい)であったからとしか考えられないと医師たちが首をひねったくらいだった。

 そこから1カ月少々の入院生活が始まるのである。そんな中で俺が一番冷や汗をタラタラと流したのは殿(たけしさん)がお見舞いに来てくれた時のことである。

 入院患者同士がなんとなく仲よくなり、面会のスペースでたわいもない話をしている時に殿が来てくれた。その顔を見た瞬間、ありがたくて思わず涙がにじみそうになった俺の心情など一切おかまいなしに、「どうだダンカン、大丈夫か? みなさんも最近はがんでも医学が進歩してますから頑張ってください!」。アー!! ダメ!! それNGシャラップ! シャラップー!!

 いや、つかみのジョークとしては素晴らしいんですが……その場にはいませんでしたが、その階のわれわれと反対側の病棟はがんで入院している人たちで、面会スペースは一緒だったのです(汗)。

 余談ですが、同じくお見舞いに来てくださったサンコンさんは「1コ、2コ、サンコン」のギャグを100回くらい連発し、ついぞ最後まで「お大事に」の一言も言わずに帰っていったのでした……。 (つづく)

(ダンカン/お笑いタレント・俳優・放送作家・脚本家)