『真夜中のカーボーイ』成人指定でもアカデミー賞を獲得した、底辺で生きる若者たちの物語

引用元:CINEMORE
『真夜中のカーボーイ』成人指定でもアカデミー賞を獲得した、底辺で生きる若者たちの物語

 見終わった後も、引きずってしまう映画がある。その残像がずうっとこちらの心と体の奥に残り、強烈な印象をふりきることができない。『真夜中のカーボーイ』はそういうタイプの映画ではないだろうか。特に青春期にこの映画に出会ってしまうと、その大きな力から逃れられなくなる……。

 初めてアメリカで上映されたのは1969年。最近ではクエンティン・タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(19)で描かれた時代だ。あの映画からも分かるように、69年は時代の転換点だった。アメリカ全土でヴェトナム反戦運動が盛り上がり、愛と平和をテーマにしたウッドストックでのロック・フェスティバルも大きな成功を収めた。また、宇宙開発が盛んな時代で、人類初の月面着陸も大ニュースとなった。人種差別を乗り越えるための公民権運動や学生運動も盛り上がったが、新しい大統領に保守派のニクソンが就任し、アメリカのサイレント・マジョリティを代弁することになった。また、チャールズ・マンソンの一家によるシャロン・テート殺害事件も起きた。新しい社会や文化が出現する一方、反動ともいえる出来事も起きた。

 そんな69年の映画界でアカデミー作品賞を受賞したのは『真夜中のカーボーイ』だった(受賞式は70年)。この映画は公開時、“X指定”(成人指定)を受けていたが、アカデミー賞史上で初めて成人指定の映画が作品賞に輝き、監督賞、脚色賞も手にしている(後にX指定は解除)。そんなオスカー受賞から今年でちょうど50年が経過。この映画の製作背景を振り返ってみようと思う。

才能を期待されたジェイムズ・レオ・ハーリヒイの小説の映画化

 物語の主人公は60年代のニューヨークで暮らすふたりの男である。ひとりはテキサスから出てきた体自慢の素朴な青年、ジョー・バック。もうひとりは“ラッツォ(ネズ公)と呼ばれる詐欺師のリコ。ニューヨークの上流階級のレディたちの男娼となって、ひと儲けしたいと考えるジョーは、ある時、バーで詐欺師のラッツォと出会う。いかがわしい男だが、ホテル代が払えなくなったジョーはラッツォのさびれた部屋で一緒に暮らし始める。そのどん底生活を通じてふたりの間には不思議な絆が芽生える。ジョーはフロリダに行きたいというラッツォの夢をかなえようとするが、思わぬ悲劇が待っていた……。

 原作を書いたのはアメリカの作家ジェイムズ・レオ・ハーリヒイで、本の方は65年(著者が38歳の時)に発表されている。彼が60年に発表した処女小説“All Fall Down”は62年にジョン・フランケンハイマー監督の手で映画化され、ウォーレン・ビーティが主演した。家族の崩壊がテーマで、小説は高い評価を受けている。

 そんな彼の支持者のひとりに劇作家テネシー・ウィリアムズもいて、彼との友情が2作目の小説「真夜中のカウボーイ」(日本では早川書房刊、宇野輝雄訳)には反映されているようだ。ゲイだったハーリヒイはニューヨークに夢を求めて旅立つアウトサイダーの青年、ジョー・バックに性的マイノリティだった自分を重ねたのかもしれない。

 原作は3部構成で、最初の章ではテキサスにいるジョーの過去が描かれる。両親のいないジョーは、最初は3人の娼婦と暮らすが、やがて美容師の祖母にひきとられる。彼女には何人かのボーイフレンドがいて、カウボーイのかっこうをしていて、自分に目をかけてくれる男、ウッジー・ナイルズにジョーはひそかな憧れを抱く。ジョーには恋人のアニーがいるが、彼女は他の男たちとも関係を持ち、最後は精神病院に入れられる。ジョーは軍隊にも入るが、祖母が落馬事故で亡くなった後は住む場所をなくしてレストランで皿洗いとなる。ペリーという男と奇妙な関係となり、ドラッグも体験するが、27歳の時に東部へと旅立つ。

 少年の成長を描いた第1章は映画では回想として少しだけ登場し、ニューヨークでのラッツォとの関係を描いた第2章と3章の物語が軸となる。小説では少年期のラッツォも少しだけ描写されていて、17歳からブロンクスで浮浪者として暮らしてきたことが分かる(厳しい人生を歩んできたので、ストリートを生きのびるスキルは持っている)。ジョーと出会った時のラッツォは、21か、22歳くらいという設定だ。

 映画化にあたって、ふたりのエピソードはかなり原作に忠実に再現されている。原作もおもしろいが、映画の出来があまりにもよかったため、原作の影が薄くなったといわれている。

 ハーリヒオは俳優としても活動していて、『フレンチ・スタイルで』(63)でジーン・セバーグと共演し、アーサー・ペン監督の『フォー・フレンズ』(81)にも出演したが、93年に自殺している。享年66。この年、<ニューヨーク・タイムズ>に掲載された「追悼記事」には「人物描写の見事さで賞賛され、ダイアローグのうまさでも評価された」と書かれているが、映画化に関しても原作から多くの印象的なセリフが引用されている。