【追悼 宍戸錠さん】生前赤裸々に語っていた「破天荒とオンナと孤独」

【追悼 宍戸錠さん】生前赤裸々に語っていた「破天荒とオンナと孤独」

「俺が抱いた女の人数は1331人、世界で3番目だと聞いている」――。

 日活の黄金期を支えた「エースのジョー」こと俳優の故・宍戸錠さんは2012年、日活100周年を記念した外国特派員協会での講演で、そう言って海外メディアの記者たちをも驚かせた。

「このとき、世界3位は雑誌の特集に出ていたとご本人は豪語していました。俳優もタレントも芸能プロが管理し、記者が直撃しても『何でも事務所を通して』の一辺倒で逃げる昨今とは違い、取材に行くと自宅だろうと何だろうと、『おう』と応じてくれたものです」(ベテランの芸能記者)

■日刊ゲンダイで赤裸々告白「ロケに行くと1日30人コース」

 自分のことはなんでもあけすけで、かつて日刊ゲンダイの人気連載企画「私のヰタ・セクスアリス」(2000年5月29日付)では自身の初体験について「信濃町交番の裏の空き地で蚊に刺されながらヤッたのよ」と赤裸々告白。さらに「“エースのジョー”のときはまさに性との戦いだった」そうで、「ロケに行くと1日30人コース」などハチャメチャなエピソードも披露。しかし、これにはレッキとした理由があったそうで、「ヤレば1回は俺の映画を見てくれると思ってたから身を削って宣伝したの(笑い)」というからおおらかな時代である。

 1933年大阪で生まれ、事業で大成功した父親に連れられて東京へ。大邸宅のお坊ちゃんだったが、東京大空襲ですべて焼失してしまう。銀幕デビューのきっかけは日大芸術学部在学中にオーディションを受け、日活ニューフェイス第1期生になったこと。そして小林旭の「渡り鳥」「流れ者」シリーズ、赤木圭一郎の「拳銃無頼帖」シリーズでの敵役で名を馳せた。二枚目から悪役への転向のため、頬に液状シリコーン(オルガノーゲン)を埋め込む手術を受けたエピソードはファンならずとも今さらの話だろう。

 娯楽の王様が映画からテレビに移ると、今度はブラウン管に身を転じ「元祖どっきりカメラ」の司会や「ゲバゲバ90分」などバラエティー番組でも存在感を見せ、お茶の間にも親しまれた。

 晩年は破天荒だった黄金期とは違い、不幸や孤独が伝えられた。2010年、元女優でエッセイストの妻・游子さんに先立たれ、13年には東京都世田谷区内の自宅が全焼。3人の子どもたちとの関係も必ずしも良好ではなく、最期はひとり息を引き取り、倒れているところを発見される孤独死であった。享年86。

 昨年末の梅宮辰夫さんに続き、昭和の銀幕スターがまたひとり、この世を去った。