「仁義なき戦い」で眉を剃り落としたら迫力は出たけれど…【梅宮辰夫 最期の「銀幕」破天荒譚】

「仁義なき戦い」で眉を剃り落としたら迫力は出たけれど…【梅宮辰夫 最期の「銀幕」破天荒譚】

【梅宮辰夫 最期の「銀幕」破天荒譚】#6

 2019年12月12日にこの世を去った梅宮辰夫さん(享年81)。梅宮さんにとって遺作の著書となったのが現在発売中の「不良役者 ~梅宮辰夫が語る伝説の銀幕俳優破天荒譚~」(双葉社)だ。自らの映画人生とともに伝説の役者たちとの交流がつづられた珠玉のエピソードの数々を一部再構成してお届けします。

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 東映の傑作というより日本映画が誇る傑作と言っていいのが1973年に公開された「仁義なき戦い」だった。俺自身、第1作の脚本を読んだときに「これはいける」という手応えがあった。何しろ物語のベースになっているのは戦後の広島で現実に起きた抗争事件だし、登場人物全員に実在のモデルがいる。そのリアルさはそれまでの任侠映画にはないものだった。

 今だから言えるけど、当時の京都撮影所にはモデルとなった本人やその親戚や関係者なんかが、よく来てたよ。彼らも自分たちの世界がどう描かれるか気になったというわけさ(笑い)。

「あんまりカッコ良く描くなよな」

「俺の叔父貴は、あんなことは言わなかった」

 そんな感じで、こっちが聞かなくても、いろいろアドバイスしてくれた。

 もちろん、それをすべてうのみにして演技をしたわけじゃないけどね。一番大事なのは自分がシナリオを読んで受けたイメージ。これをベースに演じたし、それに対して深作欣二監督も何も言わなかった。

 ただ、実際のヤクザを目の前にし、ときには一緒に飯を食ったり、酒を飲んだりした経験は大きかったよ。彼らの「におい」を肌で感じることができるわけだから、こっちも吸収できるものは何でも吸収してやろうという気持ちだった。

 もともと東映は「不良性感度」の高さを売りにした映画会社だから(笑い)。役者もスタッフも、そういう現場の雰囲気に対する抵抗感はなかった。

 あんな映画の現場はもう二度とないだろうな。時代も違うし、映画会社の体質も違う。世間やマスコミの役者を見る目も違う。役者自身の考え方だってすっかり変わった。だから、「仁義なき戦い」シリーズと、平成の時代につくられたヤクザ映画を見比べたら、リアリティーがまるで違うよ。

 そういえば、俺も第3作「代理戦争」ではモデルとなった人物に少しでも近づこうと考え、眉をわざわざロウで埋めて、その上から肌色のドーランを塗るというメークを施してみたんだよ。

 ところが、汗をかくと溶けちゃう。そのたびにメークを修正するんだけど、だんだん面倒になってきた。で、撮影中のある日、自分で剃り落としちゃった(笑い)。

「いっそ、ないほうが迫力あるんじゃないか」

 そう思ったわけさ。まあ映画的には正解だった。今でもファンに「あのときの梅宮さん、ホントに怖かったです」なんて言われるくらいだから。

 でも、撮影を終え、東京に帰ってからが大変だった。当時、1歳だったアンナを抱いたら、いきなり、「ワァーッ」。ふだんは泣かない子だったから、俺のほうがビックリしたよ。よほど怖かったんだろうな。かわいそうなことをしたぜ(笑い)。 (つづく)