島田紳助さん、引退後8年5か月ぶり映像出演で健在キレキレトーク21分

引用元:スポーツ報知
島田紳助さん、引退後8年5か月ぶり映像出演で健在キレキレトーク21分

 2011年8月に芸能界を引退した元タレント・島田紳助さん(63)が13日、タレント・misono(35)のYouTubeチャンネル「misono ch」に“出演”した。引退後初の映像出演となる。misonoは紳助さんがMCを務めていたフジテレビ系「クイズ!ヘキサゴン」に出演して交流があり、実現した。芸能活動復帰は否定した紳助さんだが、かつての思い出話や、現在の芸能界への提言などを冗舌に語り尽くした。

 引退会見以来、8年5か月ぶりの映像出演となった紳助さんは、野球帽を目深にかぶり、うっすらとひげを生やして登場した。動画は11日に紳助さんが行きつけの大阪市内のバーで収録されたもの。店内は薄暗く、はっきりと表情は分からないものの、「ヘキサゴンファミリー」のmisono、山田親太朗(33)を相手に、ブランクを感じさせない爆笑トークを21分間繰り広げた。

 「引退して8年半、昔、島田紳助という名前で仕事をしていました。今は釣りをしたりゴルフをしたり、筋トレしたり健全な日々を過ごしております。気が付けば63歳か」と近況を報告。きっかけは紳助さんが山田と会っていた時に、misonoから電話があった。「misonoがYouTube頑張ってるから俺も出してや」。夫のドラマー・Nosukeががん闘病中ということもあり、出演を申し出たようだ。

 レギュラー番組6本を持っていた紳助さんが、芸能界を引退したのは2011年8月。暴力団関係者との「黒い交際」を認め、涙ながらに引退を表明した。以後は、週刊誌などの取材には応じたことはあるが、映像出演は初めてとなる。

 紳助さんは終始笑顔で「芸能界を辞めて下痢も止まったし。今の暇は有意義な暇。飽きるまで旅したり、筋トレして昔よりいい体になっている」と話した。1か月前まで長髪だったが、友人のアドバイスですっきりとカット。misonoのブログによると、収録前に「今メチャクチャ楽しいし未練もないから、芸能界に戻らない」と何度も話していたという。

 misonoと山田を「本人じゃなく、お姉ちゃん(倖田來未、山田優)がすごかった2人」とイジってみせると、「ヘキサゴンは芸能生活で一番幸せな番組。お前らには感謝しかない。今でも泣きそうになるねん」としんみり。他のファミリーについても「里田まいは幸せになったけど、スザンヌも離婚したし、フジモンも…。不幸率8割くらいやな。やぐっちゃん(矢口真里)もか」。矢口が再婚したことを聞かされると「ホンマに? テレビ見いひんから知らんのや」と驚いていた。

 その一方で現在の芸能界には苦言も。「バラエティーの規制が厳しくて、浮気したらあかん、不倫したらあかんって、芸能人のなり手がなくなるで。モテたい、お金持ちになりたい、目立ちたいって。それやったらあかん言われたら、きついよね」とまくしたてた。

 動画は前後編合計で約40分あり、近く後編も公開されるという。

 ◆「クイズ!ヘキサゴン」 2002年7月から11年9月まで(05年10月からは「―2」)フジテレビ系で放送されていたクイズ番組。珍回答を連発する“おバカタレント”として、つるの剛士、上地雄輔、野久保直樹、里田まい、スザンヌ、木下優樹菜、misono、南明奈らがブレイクした。つるの、上地、野久保のユニット「羞恥心」は歌もヒットし、08年のNHK紅白歌合戦に出場した。

 ◆島田紳助さんの引退後の経過

 ▼2011年8月23日 暴力団関係者との交際報道を受け、紳助さんから引退を申し入れ会見。「芸能界のルールとして、この関係はセーフだと思っていた」

 ▼12年1月 吉本興業・大崎社長(当時)が会見で「いつの日か、戻ってきてもらえるものだと信じております」と発言、抗議殺到。

 ▼12年4月 「週刊文春」のインタビューに応じ「芸能界に未練はない」。

 ▼15年 作詞家として沖縄の歌手RYOEIに楽曲提供。

 ▼18年8月 大阪・心斎橋でRYOEIのライブ会場に登場し、あいさつ。

 ▼19年7月 「週刊文春」に闇営業騒動後に宮迫博之と会っていたことを明かす。

 ◆島田 紳助(しまだ・しんすけ)1956年3月24日、京都市生まれ。63歳。75年、漫才コンビ「島田紳助・松本竜介」でデビュー。80年「第15回上方漫才大賞」で新人賞を受賞するなど漫才ブームの一翼を担ったが、85年にコンビ解散。日本を代表する人気司会者となり、引退時は「クイズ!ヘキサゴン」「行列のできる法律相談所」など6番組を抱えていた。 報知新聞社