「表現者としての仕事」 片渕須直監督が「この世界の片隅に」新作を作った理由

引用元:産経新聞
「表現者としての仕事」 片渕須直監督が「この世界の片隅に」新作を作った理由

 大ヒットした長編アニメーション映画「この世界の片隅に」(平成28年)に新たな場面を追加した「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が、順次公開されている。片渕須直(すなお)監督(59)は、ただの長尺版ではなく“新作”なのだという。作品への思いなどを聞いた。(石井健、写真も)

 新作は昨年12月20日から上映が始まり、片渕監督は舞台あいさつなどのため各地の映画館を飛び回っている。仕事納めの日の夜は、川崎市の映画館でマイクを握っていた。

 「遠い時代も今とつながっていて、そこにいた人たちの気持ちも、今の僕たちの気持ちと同じなんだ。そんなふうに見ていただきたくて、28年の『この世界の片隅に』とは、もうひとつ違う映画として、この新作を作りました」

 「この世界の片隅に」は、漫画家、こうの史代(ふみよ)(51)の同名漫画が原作。片渕監督は、知人に勧められて22年に漫画を手にし、「アニメにしたい」とこうのに手紙を書いた。

 実はこうのは、普段の暮らしを描いて物語を成立させた片渕監督のテレビアニメ「名犬ラッシー」を一つのきっかけに、「この世界の片隅に」を描いた。その片渕監督からの手紙を「運命的」と驚いた。

 主人公は絵を描くことが好きな広島市の少女、すず。映画「この世界の片隅に」で片渕監督は、昭和8年のクリスマスから21年1月までのすずの暮らしを描いた。19年に広島県呉市に嫁いだすずの普段の暮らしが、先の大戦に踏みにじられていく。

 平成28年11月12日に63館という小規模で上映が始まったが、口コミで人気が出て、翌年2月には301館に拡大。210万人の観客を動員し、興行収入は27億円の大ヒットになった。

 片渕監督は29年、新たな場面を追加した“新作”を製作すると発表。それが「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」だ。

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 片渕監督は、2時間9分の前作に38分30秒の新しい映像を追加した。遊郭で働くリンに関するエピソードだ。原作にあったが、前作では上映時間の都合で割愛した。道に迷ったすずがリンと出会い、絵を描いてほしいと求められる。だが、リンはすずの夫、周作との間に子細がありそうだ。

 「リンさんとのエピソードが加わったことで、すずさんの感情の機微が観客に届くようになった。その結果、前作とは大きく意味合いが変わった場面もたくさんある。前作とは別物です」と語るのは、すずの声を演じた女優、のん(26)だ。

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 まさに新作は、すずやリンの心の動きに焦点を当てた。片渕監督は、「登場人物の心の形の中から、みなさんの心の形と似たものを探し出してほしい」と語る。自分たちと変わらぬ心をもったすずたちの頭上に焼夷(しょうい)弾が降ったのだと考えてほしいのだという。

 「戦争が、なぜ、いけないかを語ることが、僕たち表現者の仕事だからです」

 新作については、テレビアニメにして時間をかけて描くことも考えたが、「体力的に無理」と断念。「でも…」と片渕監督は首をかしげる。「新作を作ったのは、ただ、すずさんと別れ難かったからかもしれませんねえ」