スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーン、黒人のためのファンクをロックにシフトさせた傑作『暴動』

引用元:OKMusic
スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーン、黒人のためのファンクをロックにシフトさせた傑作『暴動』

OKMusicで好評連載中の『これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!』のアーカイブス。今回はスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンの傑作『暴動(原題:There’s a Riot Goin’ On)』を紹介する。ファンクを創り上げたのはジェームズ・ブラウン(以下、JB)。このことには誰も異論はないだろう。ただ、JBのファンクはあくまでも黒人に向けられた音楽であり、70年代初頭にそのグルーブが理解できた黒人以外のリスナーやミュージシャンは少なかった。アメリカ南部と比べると、人種差別的な扱いがマシだった西海岸で青少年期を過ごしたスライ・ストーンは、ロック好きの若者であったがゆえに、黒人のためだけに発信されるJBの排他的ファンクを、誰もが楽しめるファンクへと昇華させることができた。本作はロックンロールが生まれた経緯と同じような意味で、黒人音楽の分岐点とも言えるサウンドを持っている。この作品がなければ、スティーヴィー・ワンダーやプリンス、マイケル・ジャクソン、そしてソニック・ユースも、まったく違う音楽をやっていただろう…それぐらいインパクトのある画期的なアルバムが『暴動』なのである。
※本稿は2015年に掲載

フラワー・チルドレンの時代

60年代、アメリカでは黒人による公民権運動が全米を揺るがすほどの大きなムーブメントになっていた。運動の指導者であったキング牧師が68年に暗殺された後は、大小の黒人過激派が組織され、単なる社会現象にとどまらず、音楽業界もその影響を大きく受けた。特に黒人ミュージシャンの生み出す音楽は、白人を糾弾するものも少なくなかった時代である。ファンク音楽の創始者であるJBは68年に「Say it Loud – I’m Black and I’m Proud」(声高に叫べ ー 私は誇り高い黒人だ)を大ヒットさせるなど、かなり過激に攻めている。地域によっても違うが、当時の黒人と白人の間には何かしらの溝があったのは確かだ。

と言いつつも、広大な面積を持つアメリカだけに、南部とは違ってロスサンジェルスやサンフランシスコといった西海岸では、ヒッピー文化が花開いており、白人とか黒人とかアジア人も含めて“人類皆兄弟”的なムーブメントが一気に広がっていたのだから不思議なものである。今でも普通に使われているピース・マークは、この時に世界中に広がっている。彼らの思想は「反戦」「非暴力」を中心としていたために、ドラッグは蔓延したものの人種差別は少なかった。この時代のヒッピーたちは、フラワー・チルドレン(チャイルド)と呼ばれていた。

この頃、ヒッピーたちが好んで聴いていた音楽がクイックシルバー・メッセンジャー・サービス、モビー・グレイプ、グレイトフル・デッド、スティーブ・ミラー・バンド、イッツ・ア・ビューティフル・デイなどで、それらは日本でもかなりの人気だった。どのグループも当時は必ず日本盤がリリースされていたものである。かく言う僕も、中学に入学した頃はこれらのグループのアルバムを買い続けていた。