江口洋介、“ひっそり”再開した音楽の道「俳優という自分を戒めたい」 演じず生身で挑むライブ

引用元:オリコン
江口洋介、“ひっそり”再開した音楽の道「俳優という自分を戒めたい」 演じず生身で挑むライブ

 1987年、映画『湘南爆走族』の主人公に抜てきされて以降、俳優としてスターダムを駆け上がり、揺るぎない地位を確立した江口洋介(52)。88年には、シンガーソングライターとしても活動をスタートさせ「恋をした夜は」「愛は愛で」などヒットを飛ばしたが99年以降は俳優業に専念、歌手活動を休止した。その後2016年、下北沢での約20年ぶりのライブを皮切りに音楽活動を再始動し、以後は都内ライブハウスで公演を地道に重ねてきた。1月28日には東京・渋谷のTsutaya O-Westでワンマンライブ『Yosuke Eguchi Live 2020「FREE WILL」』の開催も決定している。今、再び音楽とライブ活動に情熱を注ぐ理由を聞いた。

【写真】2016年から再始動した江口洋介のライブ活動

■ライブ会場も自分で手配 歌手活動は“ひっそり”手作りでリスタート

━━まず、約20年間、音楽活動から離れていた理由をお聞かせください。

【江口】そんなに空いていたのかっていう感じですね(笑)。最後のアルバムをリリースしたのが31歳の時なんですが、俳優として連続ドラマや映画をやって、アーティストとしてツアーをやってという生活を何年も続けている中で、二足のわらじを履いているのもどうかなと思ったのがきっかけだったかな。30歳を過ぎて、ここらで俳優としての形をしっかり作りたいと考えたんだと思います。

━━再開第1弾となった下北沢GARDENでのライブ『シモキタからはじめよう』について、当時のオリコンの取材では、「大々的にやるのは照れくさいから、密かにひっそりやりたい」と何度も繰り返されていました。

【江口】そうですね(笑)。音楽は大好きなので、プライベートでずっと続けてきたし、いつかどこかでまたライブ活動を再開させたいとも思っていたんだけど、音楽を作るのって、莫大な人数のスタッフや、とてつもないお金が必要で、すごく大変なことなんです。俺は、そういうビジネスではない部分でスタートしないと意味がないと思っていたので、ライブハウスも自分で押さえに行って、昔のスタッフに手伝ってもらって、自分たちで楽器も搬入して。そういう手作りなところからひっそり始めたかったんだよね。

━━実現されていかがでしたか?

【江口】自分たちで低予算映画を作っているみたいな感じで、こんなふうに俺は音楽と携わっていたかったんだって改めて確認しましたね。でも、最初はいいんだいいんだって小さく考えていたけど、回を重ねるうちに、だんだん、東名阪でやりたいとか考え始めるようになって(笑)、そうこうしているうちに、テレビでちゃっかり歌ってるみたいなことになってるかもしれないけど(笑)。焦らずに、じわじわと「音楽やってたんだ」って感じで広げていけたらと思っています。

━━ライブでは、毎回新曲も披露されています。

【江口】2曲以上は新曲をやるという贅沢なことをしていますよ。去年は7曲も作ったしね。自分の作った曲でお客さんがノってくれたり、ファンとダイレクトにつながれる感じは、やっぱり音楽にしかない醍醐味ですよね。そのために、このフレーズはどっちがいいのかって死ぬほど考えて、メロディも死ぬほど考えて。で、ライブで歌うときは、生身の自分のまま、何も計算せずにステージに立つという作業がすごく楽しいんです。

━━同じくアーティストである奥様の森高千里さんからは活動再開について何か言われましたか?

【江口】いや、何も(笑)。家では、お互い、音楽活動についての話はまったくしないんです。でもライブは観に来てくれていますよ。俺の大好きなロックのコンサートを観に、一緒にニューヨークに行ったりもしていますしね。彼女も音楽が好きだから、俺の趣味にも付き合ってくれるんです。