【麒麟がくる】本木雅弘、斎藤道三の役作りと樹木希林さんの“金言”「演じることは鎮魂」

引用元:オリコン
【麒麟がくる】本木雅弘、斎藤道三の役作りと樹木希林さんの“金言”「演じることは鎮魂」

 2020年大河ドラマ『麒麟がくる』(1月19日スタート、毎週日曜 後8:00 総合ほか※初回は75分拡大版)で、美濃の守護代で光秀の主君で「美濃のマムシと恐れられた男」とのキャッチコピーがつけられている斎藤道三を演じる本木雅弘(54)。放送を前に行われた取材会には、情報を自分なりに書き込んだノートを持参して登場し、役作り、『徳川慶喜』以来22年ぶりの大河ドラマ出演、義母・樹木希林さんへの思いを語った。

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 同ドラマは、本能寺の変を起こした明智光秀を通して描かれる戦国絵巻。仁のある政治をする為政者が現れると降り立つ聖なる獣・麒麟を呼ぶのは、一体どの戦国武将なのか。戦国初期、群雄割拠の戦乱を生きる、各地の英雄たちを最新の研究による新しい解釈も取り入れながら描いていく。作者は池端俊策氏。

 斎藤道三への印象を聞かれると、熱い思いを言葉に紡いでいった。「時の一国の主として、それをひとつの組織として見た場合は、非常にビジネスマンとしてのスキルが高かったのではないかと。大勢を率いて指示を出し、勝ちに行くには、先見性と戦略を持っていないといけない。聞けば戦国の世は、感情がいい意味であふれていたし、人々が瑞々しく濃く生きていた。道三も基本的には人間に興味があり、生きることに愛情があった人だと思う。『美濃のマムシ』というと、ただすごみや怖さを感じますが、それだけじゃない、その時代に生を受けた覚悟を匂わせることができたらなと思っています」。

 20年ぶりの大河ドラマの現場については「やっぱり浦島太郎状態でしたね(笑)。大河はその時代の最先端の技術が使われていて。今回はドローンが入っていたりして、空撮でも、クレーンでもなく、近い頭上にカメラが飛んでいる日がくるなんて想定していませんでした」と告白。自身のキャリアを実感する瞬間もあったと明かす。

 「同じく22年ぶりに、堺正章さんが出演されているんですが、『徳川慶喜』をやった当時、堺さんの年齢が確か50代半ばくらいで『誰も叱ってくれなくなったのが怖い』とおっしゃっていました。年齢もキャリアもそこまでくると、指摘してくれなくなってくる。まさか、自分にも同じ現実がくるとは思っていませんでした。スタッフも年下の方が多くて『昔、見たことあります』というのが最初のあいさつだったりして(苦笑)。堺さんの言葉を思い出し、何事も初心のつもりでいろいろ向き合っていかなきゃと思っています」。

 明智光秀役の長谷川博己(42)については「(2012年放送の)TBSドラマ『運命の人』でご一緒したことがあったのですが、さわやかで素直で、あまり自分を主張されない、でもなにか自信がありそうな方だなと感じていました」とにっこり。「長谷川さんは今回、基本的にほとんど受け身の演技なんですよね。さまざまな感情を受け止めて、自分なりに咀嚼(そしゃく)し判断力とかを高めていく役なんだと思う。それをとても清々しく、ちょっとイルカみたいなツルっとした、その愛らしさの奥底に大きな許容量を感じさせるのが、何だか光秀らしい。ちょっと、役者としても長谷川さんを刺激していきたいという思いもあるので、僕も負けじと斎藤道三なりの変化球をぶつけていきます」と呼びかけた。

 斎藤道三とプライベートの自身とのギャップについて「自分はもっと薄味に生きているので、毎回奮い立たせないといけない。この先のシーンで脇目も振らず嗚咽(おえつ)したり、怒りと悲しみがないまぜになんていうのがあるんですが、そんなのどんな顔なんだろうとか…」と奮闘している様子。「希林さんが、ご存命だったら、どんなアドバイスをされると思いますか」と向けられると「きっといつものように、樹木さんは『もっともっと面白がって、もっと気軽に』と言うでしょうね。そしてまた、相手をハッとさせるような救うような事を与えてくれるかも…」とふっと笑みを浮かべて、こう続けた。

 「実は、樹木さんの遺品の中で雑記帳みたいなものや、雑誌やニュースの話や、他人が発した言葉、解釈などランダムにつづられているんですが、どこぞかの書物からの引用だと思われる、お芝居のことについての文があって、かいつまんだところだけ言うと『見せるのではなく、自分を出すのではなく、心を込めて無念の魂を鎮めていただくように演じる』と書いてあったんです。つまり、演じるというのは鎮魂だということを言っているのだと思うんですけれど、それが今回のことにも当てはまる」。

 その真意について、本木は「あれだけの覚悟と才能がある斎藤道三も、最期は苦しく親子で戦って、息子に殺されるという運命をたどる。単に負けたのではなく、後にわかりますが、あえて闘い、あえて死んでいったのが、最期まで道三らしい。もちろん、時代を全うしたという意味では、とても“らしく”生きた人であったとは思うんですが、戦を続けることで狂気を抱え、微妙に人として外れてしまったという無念さはあるのだと思います」と解説。「僕はすごく役者として不器用なタイプで、そのムラを生真面目で埋めているところがあります(笑)。しかし、今回はストイックに役をデザインするのではなくて、よくも悪くも一瞬タガが外れてもいい。時に羽目を外し、計算をずらして、ボウリングで言えばガーターが出てもいい、そういう不完全さが味に見えたらと思っています」と言葉に力を込めていた。