『ザ・フライ』鬼才クローネンバーグのおぞましくも悲しい傑作はこうして生まれた!

引用元:CINEMORE
『ザ・フライ』鬼才クローネンバーグのおぞましくも悲しい傑作はこうして生まれた!

 カナダの鬼才デヴィッド・クローネンバーグの新作が途絶えてから、2020年で6年が経つ。2014年の『マップ・トゥ・ザ・スターズ』はカンヌ国際映画祭で賞賛され、改めて彼の才腕を見せつけた作品だけに、この”不在”を長く感じるファンは筆者だけではないと思う。

 今や国際的に評価されている映画監督となったクローネンバーグ。キャリアの初期は風変りなホラーを撮る俊英と思われていたが、『シーバース』(75)や『ラビッド』(77)『スキャナーズ』(81)は独自の世界観で確実にホラー・ファンの心をつかんでいた。そんなキャリアの大きな転機となった作品を挙げるとすれば、彼の名を広く世界に知らしめた『ザ・フライ』(86)ということになるだろう。

 83年の『デッドゾーン』に続いてハリウッド資本で製作されたこのSFホラーは、クローネンバーグ作品では最大の世界興収を上げ、それまでのカルト的なポジションからメジャーな異才の座へと彼を押し上げた。

 物質を分子レベルで分解・再構築する画期的な転送装置“テレポッド”を開発中の科学者セス・ブランドル(ジェフ・ゴールドブラム)は、科学雑誌の女性記者ヴェロニカ(ジーナ・デイヴィス)と知り合い、恋仲となる。一方、ポッド開発は試行錯誤を重ねた末に、動物実験に成功。セスはさらに自身の転送に挑むが、その際に一匹のハエがポッドに紛れ込んだことから、転送された彼の肉体はハエと融合し、変異が生じ始める。ヴェロニカは、そんな彼を救おうとするが……。

 クローネンバーグらしい粘着質のショック描写は健在で、ホラーとしての見応えは満点。それでいてセスとヴェロニカの悲恋をたどるラブストーリーをきっちり成立させ、単なるジャンル映画に終わらない重みを宿らせている。ビジネス重視のハリウッドで、自身のビジョンにこだわるクローネンバーグは、この映画をどのようにして作り出したのか?

『トップガン』も候補作だった!? ハリウッド進出後の悪戦苦闘

 ハリウッドでの初監督作『デッドゾーン』が内容的に好評を博し、興行的にもまずまずの成功を収めたことで、クローネンバーグの元にはさまざまな企画が舞い込んだ。その中には、後に他の監督の手によって映画化され大ヒットを飛ばした『刑事ジョン・ブック 目撃者』(85)『ビバリーヒルズ・コップ』(84)『トップガン』(86)も含まれていた。言うまでもなく、クローネンバーグは、これらの企画に興味を示すことはなかった。

 彼が選んだのは、『デッドゾーン』のプロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスから持ちかけられた企画『トータル・リコール』。この企画に意欲的に取り組んだものの、プロダクションに携わってから一年を経て、ラウレンティスの方向性に違和感を抱き、結局クローネンバーグは降板する。同作は後に、ポール・バーホーベン監督、アーノルド・シュワルツェネッガー主演で日の目を見て、大ヒットとなった。

 一年を無駄に過ごしてしまい、傷心を引きずっていたクローネンバーグに新たなチャンスをあたえたのは、主にコメディの分野で俳優、監督として活躍し、プロデューサーとしても辣腕を振るっていたメル・ブルックス。題材は、1958年の映画『蠅男の恐怖』のリメイクだ。チャールズ・エドワード・ボーグの手によるその脚本を、クローネンバーグは以前に読んでいたが、そのとき『トータル・リコール』にかかりっきりだっため、手を出す余裕がなかった。ブルックスから話が来て、改めて脚本を読み、彼は手ごたえを感じ、この企画を引き受けた。かくして『ザ・フライ』は本格的に始動する

 クローネンバーグがポーグの脚本で気に入った点は、肉体を重視し、肉体に対する意識を重視していること。それが非常に重要であることは、肉体と意識の変異を題材にしたそれまでの彼の監督作を振り返れば腑に落ちる。一方で、その脚本には不満もあった。オリジナルの『蠅男の恐怖』と同様に、脚本ではハエと合体した主人公は後半、まったく言葉を発しなくい、ただのモンスターのような存在となってしまう。

 それでは人間ドラマが成立しない……。そう考えたクローネンバーグはキャラクターを掘り下げながら、どんどん言葉が不自由になっていく主人公のコミュニケーション方法を追求。言うまでもなく、ラブストーリーにはコミュニケーションが不可欠だ。恐怖とロマンのバランスを取り、なおかつ自分らしいテーマを盛り込みながら、クローネンバーグは脚本を改稿し、ついに納得のいくシナリオが出来上がった。キャスティングも満足のいくものとなり、かくして、撮影はスタートする。