“本家”上陸前に作られた和製「スター・ウォーズ」2作品。映像界に残した遺産とは

引用元:マグミクス
“本家”上陸前に作られた和製「スター・ウォーズ」2作品。映像界に残した遺産とは

 2019年12月20日(金)に公開された『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』は、スター・ウォーズ(以下、SW)シリーズの最新作で、本作をもってスカイウォーカー家の物語が幕を閉じます。

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 同作は日米同時公開ですが、シリーズ第1作目である『スター・ウォーズ/新たなる希望』の日本公開は1978年7月1日。本国アメリカより1年遅れての公開でした。『SW』が日本公開されるまでの1年に、東宝と東映のふたつの映画会社がそれぞれ『SW』を意識した映画を製作していました。

 その1本が、東宝製作の『惑星大戦争』(1977年)です。地球を攻撃する侵略者と戦うため、宇宙防衛艦“轟天”が敵の巣食う金星へ行くため宇宙へ飛び立つというストーリー。物語を見ると『SW』よりも、本作の同年8月に劇場版が公開されたアニメ『宇宙戦艦ヤマト』に似ています。轟天の乗組員の宇宙服のデザインや、緑色の肌を持つ敵・ヨミ第三惑星人など、物語以外にも『宇宙戦艦ヤマト』に似ている点が見られます。

 その公開時期から『宇宙戦艦ヤマト』の後追い企画と誤認してしまいそうですが、本作のベースは、かつて東宝が製作した特撮映画『海底軍艦』(1963年)です。本作に登場する“轟天”は、『海底軍艦』に登場した万能戦艦“轟天号”に由来します。また本作の原案である“神宮寺八郎”は田中友幸プロデューサーのことで、『海底軍艦』の轟天号艦長である神宮司大佐から取られた筆名です。田中友幸氏は1966年に『空飛ぶ戦艦』という作品を企画していたほか、本作の3年前から轟天号を宇宙へ飛ばす企画を考えており、実現の時期をうかがっていました。アイディア自体は『宇宙戦艦ヤマト』より先行していました。

『惑星大戦争』の劇中、轟天の建造は急ピッチで進められていましたが、本作『惑星大戦争』も急ピッチで製作されました。まず本作の製作発表記者会見が8月29日で、印刷台本第1稿の完成が2週間後の9月13日付。10月12日付決定稿が完成後すぐにクランク・インし、12月17日に正月映画として公開されるという、過酷なスケジュールだったのです。

 そのため、本編2班・特撮3班という体制で撮影され、過去の東宝特撮作品からの流用映像も多いです。また本作のスタッフは同時期に東宝が進めていた『ゴジラの復活』の企画で脚本を担当していた中西隆三氏、同作の監督に予定されていた福田純監督が本作へスライドする形となりました。同じく特技監督を務めた中野昭慶監督も、日英合作企画『ネッシー』の撮影が延期となり本作に合流したのです。

 余談ですが、『ゴジラの復活』は最終的に本作から7年後に公開された『ゴジラ』(1984年)へと結実しましたが、『ネッシー』の方は製作中止となり幻の映画となってしまいました。