志村けんさんは「日台の懸け橋」台湾バラエティーの基礎築いた

引用元:東スポWeb
志村けんさんは「日台の懸け橋」台湾バラエティーの基礎築いた

 新型コロナウイルスに命を奪われた志村けんさん(享年70)のニュースは、アジア各国にも衝撃を与えた。中でも深い悲しみに暮れているのは、新型コロナ対策でいま世界中から称賛されている台湾だ。志村さんは台湾のバラエティー番組制作の礎を築いたばかりか、日本人観光客が激増するキッカケをつくった大恩人だからだ。地元の有名人にもファンは多く、台湾のトップまでもが追悼コメントを出した。

 台湾メディアは30日、志村さんの急逝をこぞって速報。中でも日本のバラエティー番組やアニメを多数放映してきた中華電視公司は、「喜劇之神、志村健病逝」と大きく報じた。

「台湾では1980年代から90年代にかけて、『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)を『志村大爆笑』のタイトルで放映し、子供から大人まで絶大な人気を誇った。特に志村さん扮する『変なおじさん』は、『怪叔叔』と呼ばれ非常に親しまれた。90年代に制作された地元バラエティー番組は、志村さんの影響をかなり受けたといわれている」とは首都・台北に在住する記者だ。

 志村さんはかつて、日台間で主に就航していた日本アジア航空(JAL子会社で、2008年合併)のイメージキャラクターを務めた。02年には、日台ハーフ俳優・金城武(46)とCM共演。子供のころから志村さんを尊敬していた金城にとっては、念願の共演だったという。2人で台湾料理に舌鼓を打ち、自転車で“2ケツ”して屋台を巡ったり、鉄道旅を楽しむシーンなどが話題に。

 台湾は近年、日本人の人気旅行先ランキングで常に上位だが、台湾ブームの火付け役が志村さんだった。

 10年には、台湾の世界的マジシャン・劉謙(リュー・チェン=43)が「志村けんのバカ殿様」(フジ系)の正月特番で共演。数々のマジックを披露した。

 コント中に「子供のころから大ファンでした」と話す劉へ志村さんが番組DVDをプレゼントするなど、2人は和気あいあい。この特番は台湾でも放映された。

「志村さんは撮影などで何度も訪台していて、台湾に親しみを持っていた。台北市内には行きつけのマッサージ店があり、サインやポスターが飾られている」(同記者)

 日本と同様、台湾でも身近な存在だっただけに、感染が分かった25日からは地元メディアが連日、志村さんの病状を詳報。SNSには回復を望み、無事を祈る書き込みが続々と投稿された。

 そんな願いもむなしく亡くなったことが分かった30日には、大手メディア「三立新聞網」が追悼特集。「志村さんは台湾を愛しており、来るたびマッサージとビンロウ(台湾式かみたばこ)を楽しんだ」「17年には『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)の撮影でまた訪台。台北市内の西門などの繁華街を訪れ、臭豆腐のあまりの強烈なニオイに驚く場面も。これが志村さんが台湾で見せた最後の姿になった」と、早すぎる死を悼んだ。

 台湾トップの蔡英文総統(63)までもが「志村けんさん、国境を超えて台湾人にたくさんの笑いと元気を届けくれてありがとうございました。きっと天国でもたくさんの人を笑わせてくれることでしょう。ご冥福を心から祈ります」と日本語でツイート。香港民主化デモの美人活動家・周庭(アグネス・チョウ=23)も「いつも志村どうぶつ園を観てました。大好きでした。ご冥福をお祈りします」と追悼ツイートした。

 またタイでは大手日刊紙「タイラット」が「タイ人も夢中になった『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系)のコメディアンが亡くなった」と速報。シンガポールの「ザ・ストレーツ・タイムズ」やマレーシアの「ザ・サン・デイリー」、インドの「ザ・ヒンドゥー」など大手メディアも訃報を伝えた。