今だからみたいビートルズ映画 ブラックコメディー、ミュージカルにも挑戦! 『ジョン・レノンの僕の戦争』『ヤァ! ブロード・ストリート』

引用元:夕刊フジ

 【今だからみたいビートルズ映画】

 ジョン・レノンが1957年、英リバプールで高校の友人たちと結成したのが「クォリーメン」。そのなかにいたポール・マッカートニーがジョージ・ハリスンを誘い、60年に「ビートルズ」が誕生した。

 リーダー的な存在だったジョンはポールと組んで作詞作曲のチームを作り、“レノン=マッカートニー”として『抱きしめたい』『プリーズ・プリーズ・ミー』などのヒット曲を生み出し、ビートルズは圧倒的な人気を得ていった。

 映画出演というと、67年の『ジョン・レノンの僕の戦争』がある。野性味あふれる凜々しい衣装で、第二次世界大戦で北アフリカ戦線に配属される兵士を描いたブラックコメディーだ。ファンはびっくりしたであろう。

 70年にビートルズを解散した後、ジョンは「プラスティック・オノ・バンド」を結成し、『マザー』や『ラヴ』、『イマジン』などヒット曲を送り出す。しかし80年12月8日、米ニューヨークで狂信的なファンの手で非業の死を遂げる。

 『イマジン ジョン・レノン』(88年)ではジョン・レノンという存在の大きさを知ることができる。ジョンのよきパートナーだったオノ・ヨーコ秘蔵の200時間にも及ぶフィルムとビデオに、新たにジョンの近親者によるインタビュー映像をプラスして完成させたドキュメンタリーだ。

 少年時代からビートルズ時代、そして衝撃の死まで…。ジョン自らのナレーションのシーンには心を打たれる。

 70年の解散後、ポールは71年には妻のリンダとともに「ウイングス」を結成。『ジェット』や『ハイ・ハイ・ハイ』などアップテンポな曲を主体に活躍している。

 映画活動も盛んで、俳優ポールのダイナミックな姿が見られるのが『ヤァ! ブロード・ストリート』(84年)。ポールが脚本、主演、音楽の3役をこなしたミュージカル。人気シンガー・ソングライター役で、失われた新曲のマスターテープを探し求める物語となっている。ハプニング続出だが、夢と感動のなかでちょっぴり泣けるシーンもある。主題歌『ひとりぼっちのロンリー・ナイト』はヒットした。

 主題歌というと『007 死ぬのは奴らだ』(73年)は聞き逃せない。3代目ジェームズ・ボンドのロジャー・ムーアにぴったりなダンディー&セクシーなポップソングだ。(夏目映視)