『レ・ミゼラブル』パリ郊外、絶望と怒りが示す世界の縮図

引用元:CINEMORE
『レ・ミゼラブル』パリ郊外、絶望と怒りが示す世界の縮図

 2018年のサッカー・ワールドカップ、フランスが20年ぶりの優勝を果たした瞬間。凱旋門の周辺には多くのアフリカ移民たちが集結、決勝戦で4点目のゴールを決めた、カメルーンにルーツを持つエムバペの名前を叫び続ける。群衆の中にはトリコロールのフランス国旗をマントのように羽織る者もいる。

しかし、この後に展開するドラマは、同じ旗の下に集い暮らす人々の出口のない絶望を描き、見る者全員を同じ淵に追い詰める。本年度のアカデミー国際長編映画賞にノミネートされた本作は、同部門と作品賞を制覇した韓国映画『パラサイト 半地下の家族』(19)にも勝る痛烈な手法で、分断された社会の現実を映し出す。

 舞台は、パリ郊外。高速道路の整備によって流通から取り残され、今はスラム化してしまったモンフェルメイユのボスケ団地。モンフェルメイユは文豪ヴィクトル・ユーゴーの代表作『レ・ミゼラブル』の舞台として知られる街だ。物語の案内人は、シェルブールからやって来た新任刑事のステファン。ステファンは、ボスケの治安を守るベテラン警官クリスと、アフリカ移民のグワダが率いる犯罪防止班に配属され、ボスケの複雑に絡み合った現実を初日のパトロールで目の当たりにする。

 率直に言って、この冒頭の数分間で紹介される街の勢力分布図が、物語の重要な鍵になっている。その複雑怪奇なる風景は、まるで映画のために書かれたフィクションのようだが、実はそうではない。本作が長編デビュー作の新鋭、ラジ・リ監督は、モンフェルメイユで生まれ育ち、今もその地に暮らす文字通りのネイティブ。描かれる事柄は監督自身の実体験に基づいているのだ。 『レ・ミゼラブル』パリ郊外、絶望と怒りが示す世界の縮図 『レ・ミゼラブル』 2.28(金)新宿武蔵野館、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー (c)SRAB FILMS LYLY FILMS RECTANGLE PRODUCTIONS

国籍、宗教、民族が複雑に絡み合う街の勢力図

さて、警官トリオが遭遇する住人たちを紹介しよう。まず、アフリカ移民とその子供たち。彼らから”市長”と呼ばれている団地のドン、彼はフランス語でMAIRE(市長)と背中にプリントされたサッカー・シャツがトレードマークだ。他には、ケバブ屋を営むサラーが支配するムスリム(イスラム教徒)たちや、街でサーカスを興行するロマ(中東欧からやってきた移動型民族)たち、いざという時に警官たちがすがるハイエナが仕切る麻薬組織、等々だ。

つまり、ボスケは国籍と宗教と民族が渾然一体となった 21世紀ヨーロッパの縮図であり、貧困と差別がもたらす絶望と怒りが充満としているという意味では、世界の縮図とも言えるわけだ。

 そして、事件は起きる。アフリカ移民の少年イッサが、サーカス団の子ライオンを盗んだことで、犯人を探す警官チームと子供たちが衝突。その際、パニックになったグワダが発煙弾をイッサの顔に発射してしまったのだ。その場面を少年の1人がドローンで撮影していたために、事態はさらに複雑化する。撮影データを何としても手にしたい警官チームはいつものように裏工作に長けたハイエナに泣きつき、子供たちは市長に助けを求め、ドローン少年はサラーの店に駆け込む。

市長はこれを機に、常日頃横暴極まりない警官を潰せるのではないかとサラーに詰め寄るが、2人は決して一枚岩にはなれない。こうして、市長vsサラーvs警官vs警官側のハイエナという、四つ巴の対決へと発展していく件は、狭い街の中で別々に存在していたグループの素顔が鮮明になり、作劇としてはとてもスリリングだ。

 また、横暴な警官クリスにも守るべき家庭があり、自身も移民2世であるグワダの、混沌の中で自己を見失ってしまった状況には情状酌量の余地はないだろうか。3人の中では誰よりも冷静で、物事の是非を判断できるステファンも含めて、ここには、生まれながらの悪人など誰一人登場しないことに胸を突かれる。

 いったい、誰が彼らを追い詰めたのか?もはや、ステファンのような良心だけでは修復不可能な社会の荒廃が、『レ・ミゼラブル(悲惨な人々)』というタイトルに帰結する時、誰もが言葉を失うに違いない。