【ラジオエキスポ】コサキン&ナイツが爆笑トーク 長寿番組の舞台裏を告白

引用元:オリコン
【ラジオエキスポ】コサキン&ナイツが爆笑トーク 長寿番組の舞台裏を告白

 お笑いタレントの小堺一機、関根勤による“コサキン”とお笑いコンビ・ナイツが10日、パシフィコ横浜で行われたTBSラジオによる新たな大型体験型イベント『RADIO EXPO~TBSラジオ万博2020~』初日のライブイベント『ナイツ×コサキン EXPOスペシャルトーク』に登場。息のあったトークで会場の笑いを誘った。

【個別ショット】『ラジオエキスポ』の魅力を語ったナイツ

 1981年から2009年まで、同局で放送されていた『コサキンDEワァオ!』のパーソナリティーを務めていた小堺と関根だが、関根が冒頭から「横浜って浜の横じゃない。縦浜ってないよね。パシフィコってね、人の名前だと思った」と話すと、すかさず小堺が「パシフィコさん、どうぞ」と無茶振り。関根も「ブラジルではサッカーを3年やっていました」と応じながら「黒船のペリー(の想像ものまねは)小堺くんが無理やり振ってやったのがきっかけだったんですよ」となつかしそうに振り返った。

 そんな中、ナイツの2人が登場すると、塙宣之が「すごい、人が。こんなにいらしていたんですね」と驚きの声。相方の土屋伸之は『コサキンDEワァオ!』リスナーだったことを明かし「そこまで古くはないのですが、99年くらいから聞いていました。大学に行くまでの道すがらや、仕事でホステスさんの車の送迎をしていたんですけど、その時に聞いていましたね」と意外な過去を明かした。

 コサキンの2人は師匠である萩本欽一とのエピソードを披露。関根が「あの人のいいところって、陰口たたかないんだよね。最初、僕の前で『オレは関根嫌いだよ』って言っていて、しばらくしたら『そんなに気持ち悪いやつじゃなかった』ってなったんだけど、ある時に『関根、お前は40からだ、頑張れ』って言われて。40歳から、番組の立ち上げから呼ばれるようになったから、そのことを伝えたら『関根は50から』って(笑)。怖くて、50過ぎてから行けなかった」と笑わせた。

 一方の小堺は「いろんな予言を当てるんですよ。数字も当てるんですよ。収録した時に『18.6』って言ったら、本当にその数字だったこともありました」と証言。そこから話題は『コサキンDEワァオ!』が始まった経緯へと移り、関根が月曜から金曜までの帯番組『夜はともだち』でパーソナリティーを務めていた松宮一彦さんが『ザ・ベストテン』の中継レポーター企画が入ったため、木曜日の番組をピンチヒッターとして担当することになったと回顧。番組開始当初は、反響の少なさから降板することも考えていたと語った。

 「若手でそんなにいい番組をいただいたのに、やめさせてくれって言えないから小堺くんに尋ねたことがあって。『こうなったら、クビになるように仕込んでいこう』って話になって『むちゃくちゃな放送にして、クビだって言われたら、僕らはあれがいいと思ってやったんですよ』って(笑)。それで次の週からむちゃくちゃにしようって、訳のわかんないことをやったら、はがきが増えてきたんです。地を出したんだよね。かっこつけたのをやめたら、どんどんはがきが来た」

 そんなコサキンの2人に対して、ナイツが漫才を披露。その場に座り込んで、最前列でネタを見守ったコサキンは大感激で、小堺が「ナイツはズルい、いい人の顔をして毒がある」と話すと、関根も「正露丸糖衣錠だね。包んであるんだけど、本当は中が苦い」と絶賛。その後は『コサキンDEワァオ!』名物コーナーで盛り上がった。

 『ラジオエキスポ』は、きょう11日まで行われる。