東ちづるさん「仏絵本のカロリーヌに憧れて自由な冒険心を持ち続けている」

東ちづるさん「仏絵本のカロリーヌに憧れて自由な冒険心を持ち続けている」

【私の人生を変えた一冊】東ちづるさん(女優)

 カロリーヌの冒険

 昭和から平成にかけ、「お嫁さんにしたい」が代名詞だった東ちづるさん。当時を知る中高年なら、舌鋒鋭いコメンテーター、さらに社会活動家として活躍する現在の姿に驚いているかもしれない。人生を変えた一冊、その原点となった本を尋ねると、フランスの絵本「カロリーヌの冒険」シリーズを挙げてくれた。

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 幼い頃の私は、おままごととか、女の子の遊びに興味がなく、外でひとり鉄棒したり、家では本を読むか絵を描くか。本はクラシックをかけながら読み聞かせてくれた母の英才教育が始まりでしたけど、この本は世界文学全集と違い、とても異色に感じたのを覚えてます。

 なんといっても、同い年くらいのカロリーヌです。思い立ったら吉日と海へ山へと旅立ち、時空を超えて過去や、月にまで行っちゃう。どんなピンチに見舞われても、明るくクリアしていくんです。子猫や子犬など、かわいい8匹の仲間といい、なんて自由でキュートで、いつかカロリーヌのようになりたいなあって。高校3年くらいまで身近に置いて読み返していました。

 当時の私はカロリーヌとは正反対。カゴの鳥というと言い過ぎかもしれませんけど、自由も冒険も、妄想の世界のことでしかなかった。縛られていたわけでもないのに、母の期待する娘でいようと、いつも顔色をうかがう。クリスマスにサンタクロースへのリクエストを聞かれ、本と答えた私に「そういうんじゃなくて」と母が言った途端、「お人形さん」と言い直してしまう子どもだったんです。

 大学進学というと、自立には絶好のタイミングでしょう。私も島を出て大阪で初めてのひとり暮らしを始めたのですが、ゴールデンウイークにはもう飛んで帰っていた。

「18年間の期待を裏切ったわねえ」――第1志望の国立大学教育学部の受験に失敗したとき、ぼそっと、そう母が呟いた言葉に深く傷つきながら、それでも共依存し続けていたんです。実人生なんてこんなものだって、諦めかけてもいた。

 でも、カロリーヌがそっと背中を押してくれていたのかもしれません。大阪で芸能活動を始め、お昼の料理番組のアシスタントをして3年という頃、やっぱり東京に行かなくちゃと思い立った。

「ここにいたら、おばあちゃんになっても食べていけるよ。でも、東京には君のようなタレントはごまんといる。またスタート地点に立つの?」

 そう周囲から反対されたし、コネもなければ友達も親戚もいなかったけれど、台本より面白いことをやれば次につながる、道は開かれると信じて賭けました。

 平成元年、30歳になろうという私は渋谷のスクランブル交差点に立ち、どうしてこんなにたくさんの人が集まるのだろう、どうやったらそんなにスタスタと渡れるんだろうって目を丸くするばかり。それでも仕事はきた。ドラマ、バラエティー、報道番組。幅広くやらせてもらうなか、やがて、女優でも芸人でもジャーナリストでもない自分に気づくのです。それでまた母のお人形だった頃のように、例えば取材では質問を先回りして、相手の望むコメントを望まれている以上に応えてしまう。「お嫁さんにしたい」というキャッチフレーズでは、結婚なんて全く考えず、ただガツガツした野望を胸に仕事する私との間にどうしようもないギャップを感じ、悩み、苦しくもあった。

 そんな言いしれぬ思いを抱えていたからか、上京から2年、白血病の17歳の青年のドキュメンタリーを見たとき、淡々と前を向く姿に心がリンクして、絶対に心の中では泣いている、何かものすごく苦悩していることが伝わってきました。

 声なきSOS。それが骨髄バンクの啓発ポスター制作につながります。ボランティアの始まりでした。

「選挙に出たいんですか?」「好感度を上げたいのね」「売名?」

 芸能との二足のわらじには、いろいろ言われましたけど、続けたのはほかでもない、私自身が癒やされたから。戦争で傷ついた子どもたちのいる「ドイツ国際平和村」に行った帰りの飛行機では、ドラマの台本を開いても、いつものように頭を切り替えられない。「私たちのことを、忘れないでね」と言った子どもたちの顔、声が離れないんです。子どもたちのこと、平和村のことを伝えるのは自分しかいない。私は私を活用する。受け身の人生が自発的に変わった、変えられてしまった瞬間でした。

■生きづらい社会だからこそ自分の活動にやり甲斐が

 そうして、さまざまな活動のなかで見えてきたのが生きづらさの正体、構造です。今は誰もが社会に役立つようにならなきゃいけないと思っている。現政権も1億総活躍などとハッパをかけていますが、そういう社会ですよね。

 私自身、良い子にならなければならない、周りに迷惑を掛けちゃいけないと言われ、刷り込まれて育ちました。

 でも、生産性が最優先の社会なんて違うし、嫌ですよね。そもそもの話、私たちが生まれたのは生産するためじゃない。私たちをより生きやすくするために、皆でつくっていくべき社会が、いつの間にか私たちの上にきて、圧力をかけている。これって逆ですよね。

 東日本大震災を機に一念発起し、「Get in touch」という一般社団法人を立ち上げたのは、誰もが、あるがままでいられる「まぜこぜの社会」が本当だろうって。映画や舞台、アート、音楽で活動しています。ここでたくさんの仲間ができ、ひとりでは決してできないことに挑戦し、できてしまう喜びといったらありません。

 社会、とりわけ日本は格差が広がり、不寛容で狭量で排他的で、何か発言したり行動すると、SNSにはネガティブな声も寄せられます。実はそれらはごく少ない数で薄く、あの手この手で大きくしているだけということを経験で知りました。それよりも、賛同の声が圧倒的に多く、それが着実に濃くなっている。行政からも今年、多様性社会にしようという活動で、お声掛けいただいているし、ますますやり甲斐を感じ、盛り上がっています。

 うれしいのが、年齢とともにカロリーヌに近くなっていること。遠くでほほ笑み、見守ってくれているのかも。欲しかった仲間に囲まれ、自由にいろんなところに冒険しているのですから。気がつけば、もうすぐ還暦。より自由になれて、もっともっと冒険していけると信じています。

(聞き手=長昭彦/日刊ゲンダイ)

▽あずま・ちづる 1960年6月5日、広島県因島市(現・尾道市)出身。関西外語短大卒。会社員生活を経て芸能界へ。「お嫁さんにしたい女性有名人」を代名詞に一世を風靡した。社団法人「Get in touch」代表。骨髄バンクやドイツ国際平和村、障がい者アートなどのボランティア活動を28年続けている。