昭和のスターと孤独死…梓みちよさんと宍戸錠さんはどんな晩年を

昭和のスターと孤独死…梓みちよさんと宍戸錠さんはどんな晩年を

 昭和のスターがまたしても、孤独死だった。大ヒット曲「こんにちは赤ちゃん」などで知られる歌手の梓みちよ(本名・林美千代)さん。1月29日、都内自宅のベッドの上で冷たくなっているところをマネジャーに発見された。享年76。

 1月は18日に俳優の宍戸錠さんが都内マンションでやはり孤独死していた。86歳であった。昭和世代にとってスターの孤独死というと、2009年に62歳で亡くなった女優、大原麗子さんを思い出すかも知れない。梓さんに子どもはなく、ひとり暮らしだった。どんな晩年を過ごしていたのか。

「膝を悪くし、歩くときに杖をつかうようになってはいたものの、仕事は続け、第一発見者のマネジャーが自宅を訪れたのも、レギュラー出演中の通販番組の打ち合わせのためだったそうです。膝のために歌番組やイベント出演は減っていましたが、化粧品のプロデュースをして、保湿クリームで人気を得るなど、変わらずパワフルだったと。歌手も諦めたわけじゃなく、『また新曲出してヒットさせたいね』と話していたそうです」(スポーツ紙芸能デスク)

 大の犬好きだった梓さんは昨年5月に愛犬が亡くなった悲しみを乗り越え、次に飼う犬を探していたという。

「『やんちゃガイ』こと、あの石原裕次郎さんと共に人気だった俳優の和田浩治とスピード離婚した70年代、梓さんは『遊ぶし、飲むし、男の友達もいっぱい』と公言し、歯に衣着せぬ物言いで知られていた。代表曲『こんにちは赤ちゃん』をもらった当初は『ママになったこともないのにどう歌えばいいの?』と悩んだけど、作詞した永六輔から『女性はみんな母性本能があるんだ』とアドバイスされてうなずいたというエピソードがある。母性本能はワンちゃんに注いでいたのかも」と、梓さんを知る芸能関係者は言う。

 俳優の高橋克典は《実は、梓さんとは、2年前ほど前まで、同じマンションに住んでたことがありまして》とブログで明かし、こう続けている。
《低層で、戸数も少ないマンションでしたので、当然ごあいさつする機会も多く、産地直送でいただいた素晴らしい元気な野菜をくださったり、ウチからも地方からのちょっとしたお土産を渡したり、やはりいただきもののお裾分けをしたり、日常のちょっとした飲み物やなんやかや、帰ってくると手紙を添えて玄関のノブにかけてくださっていたり、まるで昭和の頃のご近所のようなあったかいお付き合いをさせていただいてました》

■少子高齢化時代の大問題

 孤独死というと、社会的に孤立し、身寄りのない不幸な高齢者との印象がある。

 また、元スターゆえに周囲にも相談できない家族間の確執、外からはうかがい知れない悩みもあったはずだが、晩年の梓さんには悲愴感は感じられない。

「少子高齢化が進む日本では、ひとり暮らしの高齢者は700万人近くいて、さらに増えていく。子どもや孫に看取られる最期が幸せかのような風潮がある一方で、たとえ子どもや孫が受け入れてくれるとしても、そこにはいかず、あえてひとり暮らしを選ぶケースも少なくない。はたから寂しそうに見られても、本人は誰に気兼ねすることもなく、気ままに自由に余生を送っていたりするものです」と、ある介護スタッフは言う。

 梓さんも晩年まで仕事に恵まれ充実したひとり暮らしを送っていたとすれば、気の合わない伴侶といやいや老後を過ごすよりは精神的に豊かではなかったか。