『ムーラン・ルージュ』の名匠バズ・ラーマンを支えた父の言葉と、インド映画から受けたインスピレーション

引用元:CINEMORE
『ムーラン・ルージュ』の名匠バズ・ラーマンを支えた父の言葉と、インド映画から受けたインスピレーション

 映画、オペラ、演劇、TVドラマ、CM、PV・・・。多彩な表現方法を行き交いながら、自身の壮大なイマジネーションをあますところなく具現化し続ける名匠バズ・ラーマン。中でも彼が30代後半に手がけた『ムーラン・ルージュ』はキャリアの中央にそびえるまさに巨大な城のような作品だ。

 観る者を瞬時に魅了する映像の吸引力とスケール感。そして、あらゆる要素を貪欲に詰め込んで、それを一本の太い流れへ集約させていく豪腕ぶり。ハリウッドとは一味違う型破りな作風の中には、これぞオーストラリア産ならではという特性も多く見受けられる。が、よくよく調べてみると、バズ・ラーマンが生まれ育った家庭環境もまた、これに輪をかけて特殊なものだった。

 母は社交ダンスの先生。父は農場やガソリンスタンドを経営し、さらに映画館も切り盛りしていたとか。それはとても小さな田舎町でありながら、バズ少年の周りにはいつも活き活きとしたカルチャーがあった。彼はまさにその中心で育った子供だった。幼い頃から始めたダンスが後の監督デビュー作『ダンシング・ヒーロー』(92)に繋がったのは言うまでもないが、一方で、幼くして映画館で見た名画の数々も彼を惹きつけた。特にミュージカル映画は当時から大好物だったとか。この両親の元で育たなければ、バズ・ラーマンが今のように名匠への階段を駆け上ることもなかっただろう。

 かくも人生に影響を与え、要所要所でラーマンをおおらかに励まし続けた父レオナルドは、本作『ムーラン・ルージュ』の撮影がいよいよ始まろうとする中、息を引き取った。亡くなる前、病床を見舞った息子バズに、父はこう言い放った。

「ここで何をしてる?さあ、仕事に戻りなさい。戻って映画を撮るんだ」

 この言葉は本作の過酷な製作現場でくじけそうになった監督を励まし、幾度も苦難を乗り越える力を与えてくれたという。思えば本作は、一つの激動の世紀の終わりに、若き青年が愛する人へ想いを捧げる物語だ。それは型どおりのラブ・ストーリーでありながら、視点を変えると、そこには男女の愛にとどまらぬ、息子から父への深い感謝や愛情の思いすら込められているのかもしれない。